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「教科書の落書き」


 学校に通っていたころ、みなさんは自分の教科書に落書きをしましたか?私の場合、歴史の教科書に挿入された歴史上の人物の肖像画や写真のほとんどに、サングラスやヒゲを書き加えるなどの落書きをしていました。ほかには、ページの隅に何十ページにもわたってパラパラマンガを書いたりもしました。もちろん、それは必ずしもよいことではありません。とくに、私のように授業中に創作活動に勤しむケースは、ほめられた行為ではないと思います。しかし、落書きもまた、私たちの学校での経験の一部なのではないでしょうか。
 学校教育は、学ぶことと教えること(教育内容)の大まかな基準があらかじめデザインされています。しかし、それが完全な形で学習者に伝わるとはかぎりません。ときには教師の意図とは違う形で伝わってしまったり、あるときには教師のねらいを超えて学習が展開したりして、一人ひとりの学校での経験が成り立っています。そう考えたとき、教科書の落書きも、あらかじめデザインされた学習の計画からは逸脱しているかもしれませんが、授業に対する子どもからの応答の一つの形ととらえることができるのです。
 このような落書き、いつごろから書かれるようになったのかはわかりかねるのですが、1930年代に使われていた小学校の地理の教科書を読み込んでいた時に、余白に「〇〇は△△となかよし」(〇〇と△△にはそれぞれ名前が入ります。級友の名前でしょうか)と書かれていたり、挿絵で描かれた山の頂上にいわゆる棒人間が描かれていたりしたものを確認することができました。
 現在のものとさほど違っていない、牧歌的ともいえるこれらの落書きは、私にはとても驚きでした。戦前昭和の学校教育に対して抱いていたイメージ-国家による特定の方向への思想錬成の影響下にあり、それが次第に強まり学校教育全体を(すなわち子どもの経験全体を)覆っていったというもの-が大きく揺さぶられたからです。
 私が抱いていたイメージは、戦前昭和の学校教育を語り論じるときの一般的なイメージの一つでしょう。しかし、その時代を生きた一人ひとりの子どもの経験は多様で、そのなかには、ステレオタイプのイメージからは把握しえないものがあるということを、戦前の教科書の落書きは気づかせてくれました。それは、時代の全体的な状況と、それに方向づけられながらも多様な一人ひとりの経験。どちらの側面にも目を配りながら、できごとの意味を読み解くという、私の研究姿勢へとつながっています。
 過去の教科書の落書きを体系的・全体的に収集するのは難しいことです。また、あるページに描かれた落書きは、ある瞬間における個人的な経験の一つの側面のあらわれにすぎず、落書きを通して個人の学校での経験のすべてを知ることもできません。しかし、たとえ断片的なものであっても、落書きをみることで、歴史を多面的に見て、考えるための重要な手がかりになります。もしかすると、私たちがなにげなく書き残してきた落書きも、重要な史料になる時がくるかもしれません。