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「鬼滅の刃」×子どもの福祉


※職位や内容は投稿時のものです

2022年7月15日更新

 およそ40年ぶりに漫画(アニメーションを含む)にハマりました。

 それは、まだ新型コロナ感染症(COVID-19)を知らない2019年12月末、実家に帰省した長男と観たTV版「鬼滅の刃」から始まりました。その後、コミック全巻を「大人買い」、映画<無限列車編>は、複数回【IMAX】の劇場を探して鑑賞し、さらに飽き足らずDVDを購入。その後、TV版<遊郭編>にも感動の雨嵐、今は、2022年中に放送予定の<刀鍛冶の里編>の開始が待ち遠しい私です。

 そこで、なぜ、こんなにハマったのか、どこに心を揺さぶられたのか、考えてみました。

 「鬼滅の刃」の舞台は大正時代(1912-1926)初期。家族を殺され、“鬼”にされた妹を人間に戻すため、主人公(炭治郎)が鬼殺隊の仲間と共に数々の鬼に立ち向かう姿を描いた作品です。“鬼退治”という古典的なストーリーの中には、当時の社会情勢を反映しながら、敵味方を問わず登場人物の背景が深く掘り下げられています。ただ、PG12指定(=12歳未満は、保護者の助言・指導が必要)であり、戦闘シーンの残虐さは否めませんが、敵である鬼にも善良な人間だった過去があります。

 当時の日本は、欧米の軍事的・経済的圧力に対抗するため「富国強兵」「殖産興業」を推し進める一方、格差社会のなかでの貧困と子沢山、孤児の増加、児童労働、被虐待や人身売買などが社会問題化した時代でした。炭治郎をはじめ鬼殺隊の仲間も子ども時代に同様な過去をもち、鬼によって家族や大切な人を殺された者たちです。さらに、鬼たちにも社会や家族から排除された悲惨な子ども時代があり、自らの生存を守るために鬼となることで人間だったときに得られなかった自らの価値を鬼となった力で回復しようする者たちです。そして、たとえ容赦なく倒した鬼であっても、その命が消えるときに情けをかける「炭治郎流の正義」が貫かれ、勧善懲悪ではない奥深い心理の描写があります。

 私は、社会福祉学を専門とすることもあり、現代社会の事象に目を向けたとき、自分は鬼にならないと断言できる人間はいないのではないかと感じています。時代や法制度が変わっても、依然として「紛争」「貧困」「差別や偏見」「虐待」「孤立」「排除」は、世界だけでなく私たちの身近に存在しています。人間は、置かれた環境から大きく影響を受けます。とくに子どもが育つ環境は大切です。すべての人間が鬼にならず、また誰かを鬼にすることもなく穏やかな日常を過ごせることの尊さをについて考える今日この頃です。

 最後までお読み頂き有難うございました。


(参考文献)沢山美果子(2013)『近代家族と子育て』吉川弘文館.