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学生はなぜ、授業で笑わないのか?


「学生はなぜ、授業で笑わないのか?」

経営学部(磐田キャンパス) 教授 山田一之

 多くの大学教員に共感を覚えてもらえると思うが、学生は授業中になかなか笑ってくれない。そもそも居眠りをしていたり、その他の「活動」(内容は想像にお任せする)をしていて授業を聞いていない学生は論外であるが、前の方の席で真剣に聞いている学生もちっとも笑ってくれない。ここぞとばかり決め込んだ渾身の冗談が受けなかった時のきまり悪さは、それこそ教室から逃げ出したいほどだ。追い打ちをかけるように、昨年以来の遠隔授業の増加で、ますます学生の笑いを取ることが難しくなってしまった。

 「笑い」とは、ヒトとのコミュニケーションやある出来事について思白いという感情が喚起されたときに生じる行動である1)。したがって、コミュニケーション量が少ないヒト(あるいは場面)では、笑いは生じにくい。つまり、授業中に学生が笑わないということは、コミュニケーションができていない可能性があるというわけだ。これは講義をする側としては由々しき問題である。更に困ったことに、「笑い」を妨げる認知的な要因も働いている。それまで難解な話を早口でしゃべってきた教授が突然冗談を言ったところで、聞く側の学生は「ここでこの教授が冗談を言うはずがない」と思っているので笑えない2)。せいぜい「突然変なことを言い出した」と受け取られる程度で、極端な場合は学生にその冗談の意味を質問されてしまったりする。つまり授業中に笑ってもらうためには、前提となる「冗談が面白い」ということだけではなく、あらかじめ学生の笑いを妨げる心の構えを取り外しておく必要があるわけだ。筆者はなかなかこれがうまくできない。

 さて、新型コロナウイルスの感染拡大が始まって以来、自粛や巣籠など、社会の閉塞感が極めて高い状態になっている。最近少し落ち着いているが、コロナ前の社会に戻ったわけではない。映画・TV番組などの配信企業やYouTubeをはじめとする動画投稿サイトが隆盛を極めている。これには過剰な余暇の消費という側面とともに、ポジティブな感情の共有への渇望という側面があるのではないだろうか。初めに述べたように、「笑い」はヒトとのコミュニケーションに基づいている。質の高い「笑い」は、コロナ禍で薄れてしまったヒトとヒトとのコミュニケーションを取り戻してくれるのではないか。生活に多くの「笑い」が戻ってくる日がくることを心待ちにしている。

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1)大平哲也. ライフコースと健康~笑いとストレス・生活習慣病との関連~. Comprehensive Medicin, 2018;17(1):20-27.
2)上野行良. ユーモアの心理学. サイエンス社, 2003. pp.40-42.