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戦争の話(高射砲)


教授 杉山三七男 (経営管理論、経営組織論)

 私は愛知県の出身である。実家がある地区は今でこそ家の建ち並ぶ所であるが、子供の頃は田んぼばかりが広がった田舎であった。小学校に入る前のこと、そこにこれまで見たことのない大がかりな道路工事が始まり、田んぼの中をひときわ高く盛り上がるようにして国道一号線が通った。やっと歩けるようになって間もない子供であったけれど、近かったので見に行った記憶がある。小学校の五年生の時には、そこを聖火が走り東京オリンピックが行われた。その道が通り名古屋鉄道の駅が近いということで、この地区に大きな団地ができ、都会から多くの人が移り住んできた。元の村落よりも団地の人口の方が多いほどだ。私の母は、ちょっとした市の関係の委員の役を引き受けていて、そうした人々と関わることになった。その中に、旦那さんが戦時中高射砲の部隊に所属していたと言う奥さんと知り合った。旦那さんは、高射砲の台座を作ったりしていて終戦を迎えたと言う。そこで高射砲である。軍事に詳しい人にしてみれば常識的なことであろうが、私にしてみればそれが何のことかは分からない。いったい高射砲とは何なのだ。

 時は過ぎ、大学生となって経営学を学ぶ。そこにR&Dなるものが出てきた。以下、その内容について少し述べておく。日本では、一部を除いてほとんど学者は戦争に活用されなかったが、連合国では数学者や心理学者や文化人類学者まで活用されたようである。その一つがR&Dだ。ドイツの潜水艦であるUボートをどのようにして沈めるか、ロケット爆弾VⅡの攻撃からどのようにしてロンドンの街をまもるか、そして日本の特攻である神風をどのようにして撃ち落とすか。

 今日の表現では自爆テロとでも言われそうな神風特攻隊である。それも考案された初期の段階ではそれなりの成功を収めていたようだ。しかし、しばらくしてそれがほとんど成功しなくなる。アメリカ軍が射撃の方法を変更したからだ。上空を飛行する戦闘機を射撃したところで命中することなどほとんどない。全員が狙いを定めて射撃すれば、弾がおおよそ一点に集中するけれど、そのことはまた全ての弾が外れることを意味する。そこでアメリカ軍は、平行して撃つようにした。そうすると弾が網のようになって飛んでいく。そこに戦闘機が当たってくれるのである。こうなると、特攻隊はアメリカ軍の艦船に近づくこともできない。いたずらに兵士を死なすだけである。

 そこで高射砲である。上空を飛ぶ爆撃機を射撃したところで当たるはずがない。そうではなく、爆撃機の近くで爆発する弾を撃つのである。爆風やその破片で機体が損傷して墜落する。そこで子供の頃テレビで見ていた戦争シーンでは、爆撃機のパイロットが時折ガタガタしているところがある。おそらく近くで高射砲の弾が破裂したことになっている。今のわれわれは、そのシーンを見ても何のことかさっぱり分からないであろう。