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世界を変えた人たち


准教授 館 俊樹(運動学、トレーニング科学)

 日本では、あまり知られていませんが、ノーマン=ボーローグ博士という男がいます。彼はこれまでの植物学の常識をくつがえし、メキシコでの小麦の生産量を6倍にもふくれあがらせることに成功しています。この功績が認められ、彼は1970年にノーベル平和賞を受賞し、現在では「緑の革命」と呼ばれて世界の食糧安全保障に多大な影響を与えたと評価されています。しかし、驚くべきことに彼がこの取り組みを始めたのはなんと1943年のことだったのです。そして、最初の成功らしき物に巡り会うまでになんと20年近くの歳月を要しています。

 彼の伝記を読んでいると、資金、技術者の不足からの苦労は絶えなかったようですし、なによりも多くの人が彼の取り組みによって小麦の生産量が増えることを信じることがなかったことに苦労したようです。しかし、彼の研究グループは、自分たちの手法を信じ、20年以上の歳月をかけて、最後には世界の食糧安全保障にまで影響を与えたのです。余談ですが、この成功が元で、「緑の革命」プロジェクトはすすみ、インド、フィリピンなどでも大きな成功を収めます。

 また、人種差別が激しかった1900年代前半のアメリカにジャッキー=ロビンソンという野球選手がいました。彼は、有色人種として近代メジャーリーグで初めてプレーした人物です。彼は、敵チームや、白人社会どころか味方の反発にまであいながら、孤独な戦いを続け、有色人種がアメリカのスポーツ界のみならず社会に受け入れられる礎を築きました。その功績が今日では高く評価され、彼の背番号である42番は全球団共通の永久欠番として扱われています。現在に至るまで、全球団共通の永久欠番は彼の42番のみなのです。また、メジャーリーグにおける新人王の賞は「ジャッキー=ロビンソン賞」とも呼ばれています。

 その彼の偉大なる戦いに対する戦略は、「常に紳士的に振る舞うこと」と「いかなる仕打ちに対しても報復を行わないこと」であったと言います。

 今、我々が暮らしている世界は、当然、前述した2人に収まらず、聴覚・視覚障害者へ学問の道を開いたヘレン=ケラー氏、古くはガリレオやコペルニクス、野口英世など多数の世界を変えた人たちのおかげで成り立っています。そしておそらくは、未来の世界をよりいい物にするためには、これからもたくさんの常識を打ち破る人たちの存在が必要となるでしょう。

 日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹博士が「真実はいつも少数派である」という言葉を残しています。また、黒澤明監督は「人を憎んでいる暇なんてない。わしには、そんな暇はない。」と言っていたようです。さらに、ウィンストン=チャーチルは「成功とは、失敗に失敗を重ねても、情熱を失わない能力のことだ。」と言っています。

 残念ながら、私はまだ、彼らの領域に近づくことすらできていません。しかし、先人たちがみせてくれた、生き様や言葉のように、せめて憎むことなく、情熱を失うこともなく、よりよい未来をつくる仕事をしていきたいと思っています。そして、願わくは、本学で学んだ学生が、私と共にではなくとも、世界を変えることを目指してほしいと思います。

「無断転載禁止」 静岡産業大学