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エピジェネティクス


教授 大堀兼男(生命科学)

 エピジェネティクスとは、DNAの塩基配列に変化を起こすことなく伝達される遺伝子機能の変化を指す現象ですが、最近、これに関する研究が活発に行なわれています。そこで、従来の遺伝子に関して解明された事象を説明し、さらにエピジェネティクスについて紹介したいと思います。

 さて、遺伝子とは、遺伝現象を説明するものとして考えられました。親と子がよく似ているのは、親の形質を子に伝える現象、すなわち遺伝現象が存在するからであり、この遺伝現象を担う因子として遺伝子が考えられたわけです。この遺伝子が細胞の核の中に見られる染色体に存在することが推定され、その物質的実体はDNAであることが明らかにされました。ワトソンとクリックがDNAの二重らせんモデルを発表したのは1953年です。ここから分子レベルでの遺伝子の研究が進みました。そして、細胞内における遺伝子の機能もまた明らかになったのです。遺伝子、すなわちDNAは2つの機能を持ち、1つの機能はDNAの複製であり、これによって子孫に同じ遺伝子の情報が伝達されることになります。もう1つは遺伝情報の発現です。これはセントラルドグマとしてまとめられており、DNAからタンパク質が出来る過程を指します。このタンパク質が成体内で働いて、生命現象がみられるわけです。このことにより、成体を構成する細胞の機能をDNAが決定していることになります。DNAの中の塩基3個が、タンパク質のアミノ酸1個に対応し(塩基3個が遺伝暗号となる)、DNAの塩基の並び(配列)が遺伝情報と言われることになります。生物の全遺伝情報をゲノムと言い、ヒトのゲノム解析が進められてきました。 つまり、ヒトゲノム計画とは、約30億個もある塩基配列を決定することでした。しかし、DNAの塩基配列の情報だけでは、遺伝子の機能が明らかとなったわけではありません。各種体細胞で発現している遺伝子はそれぞれ違いがあり、実際にどの遺伝子によってどんなタンパク質が作られ、機能しているのか、明らかにしないと遺伝子の機能が解明されたとはまだ言えません。まだまだ生命現象の理解は不十分と言えます。

 ところで、遺伝子の働きはDNAの塩基配列のみによって決定されていると思われてきました。しかし、この配列情報だけでは説明できない現象が知られています。たとえば、一卵性双生児の例です。一卵性双生児は全く同じゲノムDNAを持っていますが、病気によっては発症率に大きな違いがあります。潰瘍性大腸炎やがんだけでなく、若年型糖尿病や自閉症障害などの病気の例が知られています。さて、一卵性双生児において、DNAの塩基の化学変化(メチル化)の割合が、成人になると大きな違いが出ることがわかっています。また、そのパターンも年齢とともに変化することが知られています。さらに、家族によってメチル化のパターンが異なっていることから、遺伝的な制御の可能性も示唆されています。塩基のメチル化によって、遺伝子の不活性化などが出現することが考えられています。このような現象から、DNAの塩基配列が同じでも、遺伝子の情報発現に違いが出てくると理解されます。たとえば、一組の一卵性双生児の少女の一方に、体後方の背骨の一部が重複するという奇形がみられました。その少女のある遺伝子がメチル化を起こしており、また、メチル化の程度もかなり高いことがわかりました。マウスで、その遺伝子に突然変異が起こると、余分な背骨と尾が出現することがわかっています。そこで、DNAの塩基配列の変化と同じような結果が、塩基のメチル化でも生じることがわかります。

 つぎに、ロバとウマの雑種について紹介します。ロバとウマの雑種では、親の性別によって違いが生じます。雄ロバと雌ウマの雑種はラバで、体はウマのように大きく俊敏で、性格はロバのように頭がよく家畜に適しています。一方、雄ウマと雌ロバの雑種はケッティで、体は小さく動きは緩慢で、あまり賢くなく家畜に適していません。この2種類の雑種は、親から同じように染色体を半分ずつもらっており、ゲノムDNAはほぼ違いはないということになります。この違いの原因は、哺乳類だけが持つゲノム刷り込みであると言われています。一般に、動物などの体細胞では、性染色体を除いては同じ染色体が二本ずつあります。つまり、雄由来の染色体と雌由来の染色体が存在しており、それぞれ同じ位置に同じ遺伝子があります。これら一組の遺伝子のうち、一方だけが選択的に利用される場合があります。この仕組みをゲノム刷り込みと呼んでいます。哺乳類のゲノムでは、このような遺伝子が200種類もあると言われています。

 三番目の例は胎児期における栄養状態の例です。母親が妊娠中のある時期に栄養不足を経験した子供達が、成人になってある病気に罹りやすいということが報告されました。妊娠初期の3カ月間に低栄養状態にさらされると、その子供は成人後、高血圧症や脳卒中に罹るリスクが比較的高くなり、次の3カ月間だと心臓病や糖尿病を発症するリスクが比較的高くなり、最後の3カ月間だと血液凝固の異常が起こりやすい傾向がみられたということです。低栄養状態では、成長後の腎臓の腎単位の数の減少を発生させ、その結果、高血圧を引き起こすと考えられています。腎単位の減少は、有限な栄養を心臓や脳などの必須の器官にゆきわたるようにする適応能力の結果と考えられています。また、低栄養状態では、膵臓のインスリン分泌細胞数の減少があり、その結果2型糖尿病や代謝異常症候群になりやすくなることが考えられます。タンパク質を制限した餌で飼ったラットの子供世代では、ある遺伝子のメチル化が少なくなったために、糖質の分解と脂質の合成が進み、血糖値の上昇と脂肪の蓄積が見られました。このように低栄養状態を経験した胎児は、食物が乏しい環境で生存できるようにプログラム化され、倹約表現型になると考えられます。したがって、成人になって、栄養が十分な状態では、肥満、糖尿病および心臓病のリスクが高くなることが推測されます。

 エピジェネティクスの原因には、DNAの塩基のメチル化だけでなく、染色体のタンパク質であるヒストンの化学変化もあります。また、エピジェネティクスは上の例以外にも、細胞分化、体細胞クローン、老化などでも見られることが知られています。今後、エピジェネティクスの重要性が広く認識されるようになると思われます。