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親父の話2


教授 杉山 三七男(経営管理論、経営組織論)

今回も、前回と同じく親父から聞いた戦争の頃の話

 正確には分からないけれど、我が国が戦争を続けることが困難になった頃、親父はマラリアにかかって豊橋の陸軍の病院に入院していた。その時、今から思えば日本軍の最後の攻撃とでも言うべき出撃があったようだ。工兵であった親父は、多くの新品の機材を持って行くと聞き、それらを使用したくて従軍したいと訴えた。しかし伝染する病気にかかっていた親父は許可されず、豊橋に残されてしまってがっかりしたそうだ。もちろん、その時出撃していった仲間の多くは帰らぬ人となってしまった。マラリアのおかげで親父は生き延び、私が生まれることにもなった。マラリアに感謝しなければいけない。

 またこの時期は、別の事件が起こった時でもある。幻の地震とも言える「三河地震」がそれだ。三河の三ヶ根山近辺が震源の地震が生じた。なぜ幻の地震と言ったかというと、この地震は戦況不利な日本軍が日本全体の士気が低下するのを恐れて公式には発表しなかったものだからだ。つまり、大本営がそれを発表しなかったのである。震源の北にある矢作川流域の藤井という地区には親父の親戚があるが、すべての家が倒壊したそうだ。砂地であるため地面全体が液状化してしまい、建っているものが無くなってしまったのであろう。親父は、病室でこの地震に遭遇した。長い兵舎が蛇のようにうねっていたそうだ。

 地震は惨いものである。少し藤井の話をしておこう。皆さんもご存じのように、日本の家屋は瓦で葺かれている。その下は瓦を固定するために少し粘土質の土があり、それらが薄い板の上に載っている。倒壊した家の瓦を剥ぎ取ることは簡単である。その下の土は、堅くて大変ではあるけれどなんとか取ることができる。しかし、またその下の薄い板がなかなか割れない。素手ではそんなものですら割れないのだ。地震の時は、着の身着のままで逃げ出しており、解体作業を行う道具など何もない。たとえそれらが近くにあったとしても、それら自体が倒壊した家の下にあるのであって、取り出すことすらできない。現実というのはそうしたものなのである。準備しておいても何が使えるかわかったものではない。素手で裸足、それで何ができるかを考えておくべきであろう。そこで藤井であるが、家の下に助けを求めている人がいても結局何もできず、ただ死んでいくのを見ているしかなかったそうである。