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渥美半島-戦争とサーフィン-


教授 杉山 三七男(経営管理論、経営組織論)

 御前崎から海岸線を西に進めば愛知県の渥美半島に至ります。その先端にあるのが伊良湖岬です。静岡県民から見ると、県境を越えれば関心が薄くなり、あまり縁のないところかもしれません。しかし、私にとっては非常に重要なところです。正確には、私の亡き父にとってと言うべきでしょう。父から聞いたことを少しお話しします。

 第二次世界大戦の時、父は徴兵されましたが、体が小さくて歩兵になることができず、工兵として戦いに参加しました。皆さんは、工兵という言葉など聞いたことがないかもしれませんね。直接的な戦闘行為はほとんどせず、陣地の設営や架橋などを主な任務とする裏方です。その父が終戦を迎えたのが、この渥美半島の伊良湖岬です。

 なぜ何もないこんなところでと思われるでしょう。硫黄島、沖縄とアメリカ軍が上陸し、次は日本本土ではないかということになり、ではどこに上陸するのだろうか。日本軍は、九十九里が浜か渥美半島に上陸してくると考えたようです。そこで、硫黄島のすり鉢山と同様に伊良湖岬周辺に穴を掘り、そこを要塞にしようとしました。その時点で日本軍はすでに制空権を失っており、アメリカ軍の艦載機が我が物顔で機銃掃射をしてきても、耐えてどこかに隠れ、引き返すのを待っていたようです。そんな中で父は、ひたすら穴を掘っていいました。穴の中ですから、当然光は入ってきません。電灯を頼りに掘ることになります。奥になると発電機から遠くなり、コードを長く引くのでかすかな光しかなかったとのことです。そうした薄暗い中で父はひたすら穴を掘り続け、そしてそこで終戦を迎えました。

 もちろん、戦争が長引けば渥美半島にもアメリカ軍が上陸したことでしょう。そうであれば私の父は死に、私が生まれることもありません。その渥美半島、私は好きで時々ドライブに行きます。現在そこは、西洋生まれのサーフィンという遊びのメッカですが、そんな過去のことなど全く知らない若者たちが集っています。

 もちろん、戦争が長引けば渥美半島にもアメリカ軍が上陸したことでしょう。そうであれば私の父は死に、私が生まれることもありません。その渥美半島、私は好きで時々ドライブに行きます。現在そこは、西洋生まれのサーフィンという遊びのメッカですが、そんな過去のことなど全く知らない若者たちが集っています。