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歴史物語――中国の人口


教授 劉志宏 (国際関係史、経営史)

 皆さんも知っているように、中国は人口が世界で一番多い国です。2010年中国の国勢調査によると、中国の人口は13億3972万人となりました。中華人民共和国成立の1949年の人口が5億4167万人です。つまり、約60年間で人口がなんと8億人も増えたことになります。ほぼ同時期に
日本の人口が4300万人しか増えなかったことと比べてみても、その増加ぶりが異常であるかが分かると思います。

 でも、中国の人口は昔から多かったわけでもありません。今から2000年以上も前の秦の始皇帝や日本でも有名な諸葛孔明らが活躍した三国時代、中国の人口は2000万人しかなく、古代中国の最盛期といわれる唐王朝時代でも、人口は5000万人程度しかありませんでした。

 中国の人口が増え始めたのは17世紀以降の話です。一つは清王朝時代の話です。人口が数千万から18世紀3億115万人に急増しました。その原因は領土拡張と水田技術の普及によると言われています。もう一つは中華人民共和国成立の1949年から現在に至るまでの60年間です。ただし、この60年間で中国の人口増加率は急降下や急上昇を何度も繰り返してきました。

 一度目の急降下は1960年、1961年に訪れました。1958年から始まった非現実的な高度経済成長政策「大躍進」、それに伴う全国民製鋼運動や人民公社化などによって経済均衡の失調、農村の荒廃で約2000万人が餓死しました。ところが、1962年から約10年間人口が再び急増します。当時のナンバーワンの実力者毛沢東中国共産党中央委員会主席が人は生産者であり、人が多ければ多いほど労働力が増え、経済が成長すると考え、全国民に子供を増やそうと号令を掛けたからです。その間中国の人口は2億1916万人も増えました。それまで中国の人口は毎年平均1304万しか増えなかったが、この10年間で毎年平均1826万も増えてしまいました。

 しかし、発展途上国は人口が急増すると、一人当たりのGDP(国内総生産)がなかなか増えません。そこで中国政府は1973年から計画出産政策、1979年から「一人っ子政策」を実施するようになりました。その結果、出生率が3%以上から2%以下と急降下しました。「一人っ子政策」によって一人当たりのGDPは上昇したものの、今度は人権問題や子供の教育、高齢化社会による労働力の減少、さらには出生男女比のバランスが崩れる問題まで出てきました。これは跡継ぎ欲しさに、妊娠中性別判定をしてもらい、女の子と分かったら人口流産してしまうからです。出生男女比の国際的基準は106:100ですが、中国では1999年0歳~5歳児に対するサンプリング調査によると、119:100となりました。これでは20数年後4000万人の男性が結婚できなくなります。これは大きな社会問題であり、これによって社会の治安問題さらには国際問題に発展する可能性さえあります。そのため、中国政府は2001年に「一人っ子政策」を見直し、夫婦とも一人っ子の場合に限って二人まで子供を産んでもいいことにしました。

 この政策修正によって、中国の人口増加率はまた上昇することとなりました。中国政府は2033年人口がピークに達し約15億人になると推測しています。