グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



ホーム >  TOPICS >  【スポーツ科学部】パラバドミントン・パリ2024パラリンピック日本代表の豊田まみ子選手が特別講義

【スポーツ科学部】パラバドミントン・パリ2024パラリンピック日本代表の豊田まみ子選手が特別講義


7月21日(火)、スポーツ科学部の授業「アダプテッドスポーツ論」(担当:藁科侑希講師)で、パラバドミントンのパリ2024パラリンピック日本代表・豊田まみ子氏を磐田キャンパスに迎え、特別講義を実施しました。約200名の受講生を前に豊田氏が実演を交えて語ったのは、23年間の競技人生と、ご自身の障がいをめぐる「手の形がみんなと違うだけ」という感覚です。本授業は、障がいの有無にかかわらずスポーツを楽しむための「アダプテッド(適応・工夫)」の考え方を、クラス分けや用具、指導法に加え、障がい者差別や合理的配慮といった社会の側の課題からも学ぶ科目です。

豊田氏は福岡市出身。小学4年生でバドミントンを始め、強豪校でレギュラー入りの難しかった高校2年生のとき、「豊田にしか出れないんじゃないか」という顧問や仲間の言葉に背中を押されて、パラバドミントンの大会に初めて出場しました。大学3年時の2013年、世界選手権(ドイツ)で優勝。女子シングルスSU5クラス(立位・上肢障がい)で、2024年にはパリ・パラリンピック日本代表として初出場し5位入賞、2025年には世界ランキング最高3位を記録しました。ヨネックス株式会社の選手として10年間活動し、2025年度をもって、日本代表としての活動に一区切りをつけることを公表しています。

生まれつき左肘から先がない豊田氏は、自身の障がいについて「手がないというよりも、手の形がみんなと違うという感覚の方が近い」と語ります。手の大きさや足のサイズが一人ひとり違うのと同じ感覚だといいます。「何でも聞いてほしい」という姿勢のまま、靴ひもの結び方、髪の結び方、料理――日常の動作をどう工夫しているかを、その場での実演も交えて紹介しました。装飾用とトレーニング用、2種類の義手は「全然触ってもいいので」と教室に回し、学生は実物を手に取りながら、義手そのものをダンベル代わりに使うトレーニングや、特注の曲がる義手でのベンチプレスなど、世界で戦うための身体づくりの工夫を学びました。試合では公平性を保つため、上肢に障がいのあるクラスの選手は義手を使えません。豊田氏は、そんな競技ならではのルールも説明しました。

競技人生では、手術を要する大きなけがも4度経験しました。2020年には東京大会の選考レース中にアキレス腱を断裂し、一度は競技をやめようとまで考えたといいます。それでも続けられた理由を、豊田氏は「一番大きかったのは周りの人の存在」と振り返ります。応援してくれた人たちへの「恩返しがしたい」「ここでやめてしまうと絶対に後悔する」という思いが、「パラリンピックに出場するという目標を叶えるまでは続けよう」という決意になりました。

質疑応答では、試合でのメンタルコントロール方法から試合前のルーティンまで、学生の質問が続きました。バドミントン部の学生からのサーブについての質問には、シャトルの先端に腕をかぶせて投げる方法と、肘に挟んで投げる方法を使い分けていると、身ぶりを交えて答えました。なかでも印象的だったのは、授業で障がい者差別や合理的配慮を学んできた学生の質問です。髪を結ぶ実演に、教室から自然と拍手が起こりました。悪意のない拍手にこそ「できない」という思い込みが含まれているのではないか――それを本人はどう受け止めているのか、という問いです。豊田氏の答えは明快でした。子どもの頃、何かができるようになって「すごい」と拍手をされたら、誰でも嬉しい。それと「同じです。嬉しいです」。できないと思われたことができたことへの、シンプルな拍手だと捉えている――そう続けました。

講義の最後には、受講生一同から感謝を込めて花束を贈りました。「私、パラバドミントンに挑戦してすごく良かったなと思います」と受け取った豊田氏は、「うまくいかないことの方がすごく多かったんですけれども、諦めないで続ければ、パラリンピックにも出場できましたし、夢が叶うこともあると思う」と語り、「学生の時期にいろんなことに挑戦してやっていってほしい」と受講生に呼びかけました。

講義終了後も、希望する学生が豊田氏のもとに集まり、義手を見せてもらいながら話を聞く姿がありました。
本授業では、6月30日の長島理氏(オンライン)に続き、今学期2人のパラアスリートを教室に迎えました。教科書で学んだ知識が当事者への問いになり、本人の言葉で返ってくる。その往復を、スポーツ科学部はこれからも教室でつくっていきます。
豊田氏に心より御礼申し上げます。