ピアノ産業について学びました!~河合楽器製作所ピアノコーディネーターによる講話~
6月4日、本学所属の入江教授の授業(音楽)で、静岡県浜松市に本社を構える株式会社河合楽器製作所のピアノコーディネーター三浦広彦氏にお越しいただき、静岡県のピアノ産業について、株式会社河合楽器製作所のピアノ製造の歴史やヤマハ株式会社との関わりなどに触れ説明していただきました。
山葉寅楠と河合小市の関わり
オルガンとピアノの説明
三浦様による講話の冒頭、「静岡県のピアノ産業は世界トップクラス」という説明をしていただきました。そこから、鍵盤楽器の歴史、日本のピアノ産業、株式会社河合楽器製作所とヤマハ株式会社との関係性、日本のピアノブーム、和魂洋才とは、三浦様のこれまでの経歴など、様々な切り口で「ピアノについて」お話していただきました。
鍵盤楽器は600年ほど前(日本で言えば室町時代)に発明され、そこから150年ほど経った頃(日本では幕末の時期)に現在のようなピアノが形成されました。明治維新の影響から、ヤマハ株式会社の創業者である山葉寅楠(やまはとらくす)がオルガン作りを始め、弟子であった株式会社河合楽器製作所の創業者である河合小市(かわいこいち)とともに国産ピアノ第1号を作り上げました。
また、1960~1980年頃には日本全域でピアノブームが起こり、たくさんの家庭がピアノに触れ始め、身近な存在へと変わっていきました。当時の一般家庭の約2割にピアノが普及されており、このピアノ普及率は世界の中でも日本だけとのことです。
6月11日には、実際に株式会社河合楽器製作所竜洋工場へ製造現場の見学を予定しております。株式会社河合楽器製作所では、ピアノ製作時の信念として「和魂洋才」があるということを説明していただきました。この言葉は、西洋生まれのピアノを日本人ならではの精神性を活かし製造するという意味が込められているそうです。数多くある製造工程の中で、日本人ならではの勤勉さやきめ細かさなどを活かし製造するということでした。
授業の後半は参加学生一人ひとりが質問出来る時間が設けられ、見学会に向けての準備や三浦様のご経験を自身の就職活動の参考にしている様子が伺えました。
鍵盤楽器は600年ほど前(日本で言えば室町時代)に発明され、そこから150年ほど経った頃(日本では幕末の時期)に現在のようなピアノが形成されました。明治維新の影響から、ヤマハ株式会社の創業者である山葉寅楠(やまはとらくす)がオルガン作りを始め、弟子であった株式会社河合楽器製作所の創業者である河合小市(かわいこいち)とともに国産ピアノ第1号を作り上げました。
また、1960~1980年頃には日本全域でピアノブームが起こり、たくさんの家庭がピアノに触れ始め、身近な存在へと変わっていきました。当時の一般家庭の約2割にピアノが普及されており、このピアノ普及率は世界の中でも日本だけとのことです。
6月11日には、実際に株式会社河合楽器製作所竜洋工場へ製造現場の見学を予定しております。株式会社河合楽器製作所では、ピアノ製作時の信念として「和魂洋才」があるということを説明していただきました。この言葉は、西洋生まれのピアノを日本人ならではの精神性を活かし製造するという意味が込められているそうです。数多くある製造工程の中で、日本人ならではの勤勉さやきめ細かさなどを活かし製造するということでした。
授業の後半は参加学生一人ひとりが質問出来る時間が設けられ、見学会に向けての準備や三浦様のご経験を自身の就職活動の参考にしている様子が伺えました。
質疑応答タイム
入江教授の説明
業務が多忙にも関わらず、本学学生に向けて静岡県のピアノ産業や株式会社河合楽器製作所に関することを説明していただきました、ピアノコーディネーターの三浦広彦様にはこの場を借りて御礼を申し上げます。