グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



ホーム >  リレーエッセイ >  保育所今昔物語

保育所今昔物語


磐田キャンパス 経営学部
教授 漁田 俊子

 今からおよそ45年前、大学院を出たての20代半ば、私はある地方都市の短期大学保育科に心理学担当教員として着任した。教育心理学、児童心理学、乳幼児心理学、臨床心理学等々や卒業研究の他に「保育実習ⅠⅡⅢ」も担当することになった。保育者養成系の大学や短大では、心理学系や福祉・保育学系の教員が保育実習を担当するのは極めて当たり前のこととされており、それは現在でも同じである。ただ、残念なことに、私は保育実習が何たるかはおろか、保育所やその他の児童福祉施設とは何かさえよく分かっておらず、勿論、保育実習関連の研究業績もなかった。「コレハエライコトニナッタ。研究業績を作らねばならないし」と思いつつ、着任して3ヶ月あまり後の夏休みに初めての保育所実習巡回指導にも出かけることになった。行く前から、園長や担任の先生方、そして、実習生本人とのやりとりを色々と想定し、準備を重ねた。
 そして、いよいよ初の巡回指導日、指定された時間にその保育所に到着した。そこはブドウ畑に囲まれた広々とした木造の保育園で、今でもその日の体験は忘れられない。男性園長が職員室で、冷たい麦茶とお皿に盛られたお漬け物(野沢菜?)を冷蔵庫から出して下さった。予想に反して職員室には園長しかいなかった。まず、こういったときのお漬け物の食べ方が分からなかった。緊張しながら「実習生はいかがでしょうか」と伺うと「ああ、いい子だよ」。私「日誌や指導案はちゃんと書けていますでしょうか」、園長「書けているんじゃないの? 担任が見ているから知らないけど」。私「指導実習とかはさせて頂いていますでしょうか」、園長「そんなことより、麦茶飲みなさいよ。暑いのだからお漬け物も食べて塩分を補わないとね」。私は麦茶を飲み、お漬け物を爪楊枝で頂いた。私「あのー、実習生と担任の先生とお話しさせて頂いていいですか」、園長「今二人とも昼寝しているから、起こしちゃ可哀想だよ」。私「では、実習生のいる保育室を見せて頂いてもいいですか」・・・こうして、私は、小さな布団がたくさん敷き詰められ、カーテンのかかった薄暗い保育室で午睡中の子どもたちと保育室の端の方で熟睡する保母(保育士の当時の名称)と実習生を、保育室入り口の廊下に座って暫く眺めていた。時折カーテンのかかる開け放した窓からブドウ畑を渡ってくる風が廊下側に気持ちよく吹き抜け、真っ白なカーテンを持ち上げていた。実習生や担任保母にそれぞれ伺う予定にしていた実習日誌や指導案のことも聞かなくてもよいような気持ちになっていた。これが私の初めての保育実習巡回体験である。その夏休み中に、他の保育所も10カ所ほど巡回したが、半分以上は最初の保育所のように保母も実習生も子どもと一緒に午睡をしていたし、午睡中だけでなく、いつ巡回に伺っても保育現場では穏やかな時間が流れているように見えた。
 さて、現在、日本中の保育所で、午睡時間中に保育士が子どもと一緒に寝ることはない。そして、私たち大学等の保育実習担当の教員には、実習巡回時に、実習担当保育者や担任(保育士や保育教諭)と話し、また実習生に巡回指導をすることが定められている。保育所における保育の質と保育士の資質はこの30-40年の間に急激に向上したと思う。しかし、どういうわけか、あの夏の保育所で、汗をかきながら眠りこけていた子どもたちと保母、実習生の姿を時々懐かしく思い出す。