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防災教育の大切さ


 准教授 野崎 英二 (教育課程と方法、教育技術、商業科教育法)
 
 本学では、平成29年12月13日(水)に学生や教職員が参加し防災訓練が実施されました。今回は地震による津波の襲来を想定して、建物の4階以上に避難することが目的でした。このような訓練は、私たちは今までに何回となく学校や地域で経験してきました。
 1923年(大正12年)の9月1日午前11時58分に関東一円の大地を激しく揺さぶったマグニチュード7.9の大地震が起こりました。その後、その大地震は関東大震災といわれ、学校でも歴史の一コマとして勉強しました。その被害は、私たちが住む静岡県にもおよび、例えば家屋の全壊2,383戸、半壊6,370戸、死者・行方不明者数は444人という甚大な被害をもたらしました。また、本県の熱海市では6mの津波も観測されています。(数値は、関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定 諸井孝文、武村雅之 日本地震工学会論文集から引用)このような大震災の記録を、私たちは何かの機会にテレビ等で町が燃え盛り、人々が逃げ惑う様子を目にすることがあります。そのたびに地震に対する恐怖心が植えつけられ、地震は怖いものだと思っていました。確かに地震は建物を壊し、人命を奪い怖いものには間違いありません。しかし、怖い怖いといっているだけでは意味がありません。
 学校や地域で行われる防災訓練には、消火器を使用した消火訓練、簡易担架作成及び搬送、炊き出し、高所からのシューターを利用した避難訓練等、その実施内容も多岐に渡っていますが、狙いは一つ、「自分の命は自分で守る」ということです。防災訓練時には、常にこの意識を持って臨んでいくべきだと考えています。この訓練が日々の生活の中で生きていると感じることはあるでしょうか。例えば、ホテルや旅館に宿泊した時、まず最初に避難経路等を確認するでしょうか。外出する時には、戸締りは勿論のこと、ガス等の火の用心など心掛けているでしょうか。訓練は単に訓練に終わらず、私たちのあらゆる場面で活用できると考えることが出来ます。このような日ごろの訓練を真剣に行うことによっていざというときに、他から尊敬されるような行動が何のためらいも無くできるようになるのではないでしょうか。
 未曾有の大災害をもたらした1995年(平成7年)1月17日5時46分に発生した阪神淡路大震災や2011年(平成23年)3月11日14時46分に発生した東日本大震災は、決して忘れてはならないことで、今後あらゆる場面で語り繋がれなければならないことです。東海地震が言われて久しい私たち静岡県民にとってもこのことは決して他人事ではなく、これから起こるだろうことに、一個人としてどのように対応すればよいのか、震災発災時、震災直後、震災後数時間後、数日後、数ヵ月後等、常に考えて行動しなければなりません。誰かが助けてくれるだろうなどと甘い考えは持たず、既述したように自己の命を守ったならば、次にすることは人助けです。私たちは独りで生きているのではなく、知らず知らずに周りの人々の協力・支援を得て生きているのです。そう考え、速やかに行動できる能力を今のうちから身に付け、大学生として社会人として相応しい行動が取れるようにしたいものです。
 最後に、震災後には根拠のない噂や風聞等が多く出回ります。必要なことは、確かな情報を集める手段、集めた情報を的確に判断する能力、そして正しい情報に基づいた行動が取れるよう日々の訓練には目的意識を持って、意欲的に地域や学校の防災訓練に参加することが大事だと日々感じています。