スポーツ科学部の創生と再出発
※職位や内容は投稿時のものです。
2025年8月12日更新
2021年のリレーエッセイは『何気ない日常』と題して、次の書き出しであった。
「磐田に来て4年目の春、スポーツ科学部(以下、スポ科と略す)が産声をあげた。」
2025年のリレーエッセイは『スポーツ科学部の創生と再出発』である。
2021年からの4年間はスポ科の創生期であり、多くの先生方を採用できた。笠井義明先生、清宮貴文先生、和所泰史先生、木村駿介先生、伊藤麻希先生、塩梅弘之先生、藁科侑希先生、大島建先生である。全教員が科学研究費や大学特別支援研究費申請に挑戦し、研究費獲得に繋がった。さらに、「日本トレーニング科学会2023」「日本スポーツ人類学会2024」を誘致した。地域貢献の主な事業でも、「ジュビロ飯」「ロコモ対策」「シン・スポーツいわた2023」「浜名湖花博2024での体力測定」「静岡産業大学ダンスの夕べ2023・2024」を開催した。
スポ科の入学者割合も4年間の平均は1.09と順調であった。ちなみに、21年度は0.92、22年度は1.02、23年度は1.29、24年度は1.13であり、4割強が県外からの入学者であり、認知度も上がっている。また、一期生の61名は卒業論文に着手し、卒論研究発表会では見事なプレゼンができた。就職活動も目を見張るものがあった。教員採用では現役合格者が7名と、本学創設以来最高であり、スポーツ団体や他の一流企業への採用も決まっている。これも、キャリア支援課はじめ、鷲崎早雄元学長と酒井宏高事務局長による西部地区企業への挨拶回りが、功を奏していると思われる。この場をお借りして感謝申し上げたい。
その一方で、静岡産業大学開学30周年を迎えた2024年度末には、著名な先生方が去っていく。小林寛道先生、寒川恒夫先生、小澤治夫先生、和田雅史先生である。先生方は国内外でも活躍され、日本体育学会会長や学術会議会員や秩父宮記念スポーツ医・科学表受賞者である。多くの知人は私に「静岡産業大学に体育学会を創設するの?」と声をかけてくれ、嬉しい限りであった。先生方だけでなく、24年間東海道新幹線を守ってくれた「幸せを運ぶドクターイエロー」のラストランは、1月末であった。
ところで、磐田市名産の織物である「コーデュロイ」の生産量は日本一であり、立体的でスタイリッシュで艶のある印象を与えてくれる。浜松の方言の「やらまいか」は、新しいことに果敢にチャレンジする精神を意味した語である。この二つのように、スポ科も創成期の4年間で培った成果を艶で輝かせ、教育・研究活動に切磋琢磨し挑戦し続けていきたい。2025年4月には新しいステージへの再出発である。教員の平均年齢もぐっと若返る。新カリキュラムも、4つの資格取得に特化したプログラムがスタートする。
最後に、伊藤麻希先生と私が2年間関わった、「静岡産業大学ダンスの夕べ2023・2024」を紹介する。磐田市のダンス界は、古くからモダンダンスの佐藤典子先生(1931年生まれ)が牽引してきた。近年ではEXILEのAKIRAを筆頭に、磐田文化振興会主催の「磐田ダンスエボリューション」(2012~)、「静岡県高校ダンスコンテストin 磐田」(2023~)の事業が目を引く。後者は事業費約1,000万円だそうである。この磐田の地に、静岡産業大学からダンス文化を発信したい思いで2年間、本学の学生、教員、高校生、市民に出演頂き、大学主催行事として大成功を収めている。支出は100万円以下である。伊藤先生の献身的な人力・尽力によるところが大きい。
東京から一流の舞台監督や照明家をお呼びし、素敵な照明の元、出演者や観客は、夢のような世界を味わったに違いない。何といっても、授業作品では100分×10回ほどの授業で、ダンスの初舞台に立った。しかも、1,000名もの観客に観てもらう幸運に恵まれたのである。スポットライトを浴びる経験は、一生でも一度あるかないかであろう。ダンスは経験の有無にかかわらず、自分のからだと思いがあれば、誰もが挑戦できる領域である。この経験は、海外に行っても他者とノンバーバル(非言語による)コミュニケーションができる原動力になる。学生もこの磐田の地で、「世界に一つだけの花」を、咲かせてほしいと願うばかりである。
掲載の写真は「静岡産業大学ダンスの夕べ2024」時の作品である。撮影はカメラマンの木村絵理子氏による。①授業作品『変わらない毎日』(伊藤麻希先生指導)、②授業作品『青春のカイト』(髙橋和子指導:いわた総合スポーツクラブ体操スクール生の賛助出演)、③髙橋和子ソロ作品『いま・ここ』、④静岡産業大学ダンス部『優しさ』。
2021年のリレーエッセイは『何気ない日常』と題して、次の書き出しであった。
「磐田に来て4年目の春、スポーツ科学部(以下、スポ科と略す)が産声をあげた。」
2025年のリレーエッセイは『スポーツ科学部の創生と再出発』である。
2021年からの4年間はスポ科の創生期であり、多くの先生方を採用できた。笠井義明先生、清宮貴文先生、和所泰史先生、木村駿介先生、伊藤麻希先生、塩梅弘之先生、藁科侑希先生、大島建先生である。全教員が科学研究費や大学特別支援研究費申請に挑戦し、研究費獲得に繋がった。さらに、「日本トレーニング科学会2023」「日本スポーツ人類学会2024」を誘致した。地域貢献の主な事業でも、「ジュビロ飯」「ロコモ対策」「シン・スポーツいわた2023」「浜名湖花博2024での体力測定」「静岡産業大学ダンスの夕べ2023・2024」を開催した。
スポ科の入学者割合も4年間の平均は1.09と順調であった。ちなみに、21年度は0.92、22年度は1.02、23年度は1.29、24年度は1.13であり、4割強が県外からの入学者であり、認知度も上がっている。また、一期生の61名は卒業論文に着手し、卒論研究発表会では見事なプレゼンができた。就職活動も目を見張るものがあった。教員採用では現役合格者が7名と、本学創設以来最高であり、スポーツ団体や他の一流企業への採用も決まっている。これも、キャリア支援課はじめ、鷲崎早雄元学長と酒井宏高事務局長による西部地区企業への挨拶回りが、功を奏していると思われる。この場をお借りして感謝申し上げたい。
その一方で、静岡産業大学開学30周年を迎えた2024年度末には、著名な先生方が去っていく。小林寛道先生、寒川恒夫先生、小澤治夫先生、和田雅史先生である。先生方は国内外でも活躍され、日本体育学会会長や学術会議会員や秩父宮記念スポーツ医・科学表受賞者である。多くの知人は私に「静岡産業大学に体育学会を創設するの?」と声をかけてくれ、嬉しい限りであった。先生方だけでなく、24年間東海道新幹線を守ってくれた「幸せを運ぶドクターイエロー」のラストランは、1月末であった。
ところで、磐田市名産の織物である「コーデュロイ」の生産量は日本一であり、立体的でスタイリッシュで艶のある印象を与えてくれる。浜松の方言の「やらまいか」は、新しいことに果敢にチャレンジする精神を意味した語である。この二つのように、スポ科も創成期の4年間で培った成果を艶で輝かせ、教育・研究活動に切磋琢磨し挑戦し続けていきたい。2025年4月には新しいステージへの再出発である。教員の平均年齢もぐっと若返る。新カリキュラムも、4つの資格取得に特化したプログラムがスタートする。
最後に、伊藤麻希先生と私が2年間関わった、「静岡産業大学ダンスの夕べ2023・2024」を紹介する。磐田市のダンス界は、古くからモダンダンスの佐藤典子先生(1931年生まれ)が牽引してきた。近年ではEXILEのAKIRAを筆頭に、磐田文化振興会主催の「磐田ダンスエボリューション」(2012~)、「静岡県高校ダンスコンテストin 磐田」(2023~)の事業が目を引く。後者は事業費約1,000万円だそうである。この磐田の地に、静岡産業大学からダンス文化を発信したい思いで2年間、本学の学生、教員、高校生、市民に出演頂き、大学主催行事として大成功を収めている。支出は100万円以下である。伊藤先生の献身的な人力・尽力によるところが大きい。
東京から一流の舞台監督や照明家をお呼びし、素敵な照明の元、出演者や観客は、夢のような世界を味わったに違いない。何といっても、授業作品では100分×10回ほどの授業で、ダンスの初舞台に立った。しかも、1,000名もの観客に観てもらう幸運に恵まれたのである。スポットライトを浴びる経験は、一生でも一度あるかないかであろう。ダンスは経験の有無にかかわらず、自分のからだと思いがあれば、誰もが挑戦できる領域である。この経験は、海外に行っても他者とノンバーバル(非言語による)コミュニケーションができる原動力になる。学生もこの磐田の地で、「世界に一つだけの花」を、咲かせてほしいと願うばかりである。
掲載の写真は「静岡産業大学ダンスの夕べ2024」時の作品である。撮影はカメラマンの木村絵理子氏による。①授業作品『変わらない毎日』(伊藤麻希先生指導)、②授業作品『青春のカイト』(髙橋和子指導:いわた総合スポーツクラブ体操スクール生の賛助出演)、③髙橋和子ソロ作品『いま・ここ』、④静岡産業大学ダンス部『優しさ』。
①授業作品『変わらない毎日』(伊藤麻希先生指導)
②授業作品『青春のカイト』(髙橋和子指導:いわた総合スポーツクラブ体操スクール生の賛助出演)
③髙橋和子ソロ作品『いま・ここ』
④静岡産業大学ダンス部『優しさ』