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父と犬


※職位や内容は投稿時のものです

2025年6月15日更新

 昔々のことである。私が大学を出た頃だっただろうか。我が家に一匹の犬がやってきた。近所の家で生まれた犬の1匹で、和犬の雑種(今ではミックスという*¹)。白黒のコロコロした小さな毛玉のような犬であった。なぜ我が家に犬が来たのか?これは当時も今もはっきりとした理由は分からない。しかし、理由の一つは容易に想像がつく。子どもたちが家に寄り付かなくなり、賑やかだった家が急に静かになったことだ。

 その犬をもらってきたのは父であった。父は動物が好きで、様々な動物を飼っていた。当時の我が家の庭はそれなりに広く、手作りの大小二つの池には鯉と金魚、庭の木々には野鳥用の餌台などがしつらえてあった*²。魚を狙った野良猫がやってきて、朝から鳥たちと大騒ぎをすることも珍しいことではなかった。そんな環境の中で、子犬(雄だったので「彼」としよう)はすぐに我が家の一員となった。家に帰ると足元にすりよってきて、ズボンの裾に頭をすりつける姿は今も鮮明に思い出せる。しかし、子犬の成長は早い。あっという間に大きくなった「彼」は、気がつけば家屋を出て庭の主になっていた。かなり大きめの犬小屋(ちなみにこれも父の手作りである)を与えられ、鎖でつながれることもなく、自由奔放にその小さな世界の支配者として君臨していた。

 立派な?成犬になった「彼」だが、食事の時間になるとその大きな身体を少し小さくしながら、家に上がってきて食卓に着いた。昔流の家で雨戸が開いていれば縁側からすぐに上がってくることができる。足をどこで拭いていたのか、などと言ったディテールは思い出せないが、いつも父と母の間に鎮座していた。犬は自分なりに家族の中の順位を決めるという*³。「彼」が食卓でとるポジションは、自分が我が家の中で高位に属している(と考えている)ことを示していたのかもしれない。その頃になると、結婚して家を出ていた私が家に帰っても、お土産のビーフジャーキーを与えるときだけ甘えてくるといったありさまだった。食べ終わるとさっさと庭に出て行ってしまう。「彼」の中で、私は既に「時折お土産を持って来るよその人」になっていた。

 いうまでもなく、犬の寿命は人間よりもはるかに短い。今でこそ平均14歳ほど*⁴とされているが、当時は10歳を超えるとかなり老いを感じさせた。そんな折、異変はやってきた。食い意地が張っていた「彼」の食欲が突然なくなってしまったのだ。心配した父に言われて好物のおやつを色々と仕入れて出かけても、こちらをちらっと見やっただけで、すぐに頭を下ろしてしまう。素人目にも「彼」がただならない状態であることは明らかだった。自身も病気で外出がきつくなっていた父だったが、動きたがらない「彼」を何とか連れ出し、獣医師のもとを訪れた。
 
 診断はあっけなかったそうだ。末期の消化器系癌。獣医師の言葉は、「好きなものを食べさせて、静かにさせてあげなさい」。治療も投薬もなかったという。動物は自らの身体的な不調を訴えない*⁵。何をしてよいかわからず呆然としていた家族、いや、父に、「彼」との別れはすぐにやってきた。
 
 父の希望でしっかりとした葬儀を行うことにした。当時は動物の葬儀をしてくれる寺院は少なかった。さらに困ったことに、犬の死体を長い間家に置いておくことはできない*⁶。すぐに葬儀をあげてくれるところということで、探すのにかなり苦労した。ようやく品川のとあるお寺が犬猫の葬儀もしてくれることが分かったので、早速当日の葬儀の予約をした。実家に戻り、父と二人で「彼」の亡骸を古い雨戸に乗せて軽自動車のバンに積み込んだ。小さくなってしまったにもかかわらず、「彼」は大人二人がかりでも重かった。

 葬儀はつつがなく終わり、納骨も済んだ。帰り道、助手席で遺影を持って黙り続ける父に、私はかける言葉がなかった。長年家族として生活してきた犬をなくしたのだから、悲しむのは当然だろう。しかし、たとえ親が亡くなってもその悲しみはいつか癒えてゆく。きっとしばらくすれば悲しみも軽くなるに違いない。多分、当時の私はそんな風に考えていたのだろう。これがこの後生涯続く、父のペットロスの日々の始まりだとは思いもしなかった。

*1:正確には雑種は多種類の犬種が混じっている個体で、新しい犬種として認められていないものである。一方、ミックスとは意図的に純系種を交雑させた第1世代(F1世代)を示す(イヌの交雑 - Wikipedia参照)。
*2:念のため東京の話であることを付記しておく(「昭和、下北沢とチョコレート」静岡産業大学応用心理学研究センター通信42, 2018Jun参照)。
*3:所説あるが、必ずしも学術的に支持されているわけではない(例えば、Position Statement on Dominance Theory, IAABC, 2019)。
*4:「アニコム家庭動物白書 2019」参照
*5:人と共通の言語を持たないので当然と言えば当然である。しかし、死期の近づいたチンパンジーが、心配して落ち込んでいる飼育員を励ます、といった逸話もあり(齋藤亜矢(著)「ヒトはなぜ絵を描くのか」、岩波科学ライブラリー221、2014)、単に言語を持たないためと言い切ることはできない。
*6:動物の死体は廃棄物処理法第2条第1項に従って、廃棄物(ゴミ)として扱われる。しかし、ペット等として飼い主が埋葬や供養を行うことを希望する場合は、動物の死体であってもこれを一般廃棄物とみなさない(国会での質問に対する答弁、平成16年10月29日)。