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モノサシ作りの教養教育


教授 天野利彦(欧米文化研究、記号学、国際情報学)

 本年度から磐田キャンパスが本務地となりました。よろしくお願いします。磐田キャンパスでの講義は初めてではありませんが、早朝、磐田駅南口からキャンパスまで徒歩で通勤すると、自然の美しさに、しばしば足を止めて見入ってしまいます。この自然を守るために地域の皆様がたゆまぬ努力を重ねていることが偲ばれます。と同時に、この美しい国土を放射線被害で汚してしまったことの罪深さにうな垂れざるを得ません。

 「モノサシ」と「メタ・ものさし」 大震災とその被害の大きさで多くの人々が意気消沈していた、まさにその時、我が国を新婚旅行の旅先に選んでいたブータン国王夫妻が訪れ、爽やかな印象を日本に残すとともに、国民幸福度という聞き慣れない言葉を我々にもたらしました。そして、これまで国力を測る尺度として慣れ親しんできた国内総生産やら一人当たり国民所得、為替レートなどの経済指標の意味を考えるきっかけともなりました。それらの指標は国力を測る「モノサシ」として使われてきたのですが、それらの「モノサシ」自身が「幸福度」という観点から見直されたわけですから、モノサシのモノサシ、「メタ・モノサシ」を与えられたようなものです。

 「ゆとり教育」 すでに20年以上大学教育に携わってきましたが、世情に喧しい「ゆとり教育」の弊害を私は感じません。「ゆとり教育」導入前後のことを思い出します。当時は学級崩壊や授業内容理解度が問題になっていました。小学校から高校まで、学年が進むにつれ、授業についていけない生徒が増えていました。そのために教育内容を再検討、精選する必要があると考えられ、いわゆる「ゆとり教育」が導入されたのでした。その結果として理解度にどのような変化が現れたのか十分な検証もなされないまま、今度は逆の道をたどることになりました。

 「メタ・モノサシ」と「モノサシ」 国民幸福度も一つのものさしである以上、さまざまな経済指標や生活指標というモノサシと、逆に比べられることになります。「幸福度」という概念が世界的に知られるようになって、ブータンを訪れる観光客も増え、投資機会を伺う企業や機関も増えました。先進国の生活文化も流入し、かの国の生活様式も変わりつつあると聞きます。ヒト・モノ・カネ・情報が押し寄せるかもしれません。そして今先進国を襲っている国民の経済的二極分化が、いずれ彼の国でも始まるのでしょうか。

 経済的二極分化はかつて日本の国力を支えていた分厚い中間層の分裂を進めています。今にして思えば、「ゆとり教育」は教育分野での二極分化への対抗策だったように思います。分厚い知的中間層の復活を図っていたのではないでしょうか。大学における教養教育もこの分厚い知的中間層、さまざまなモノサシを比べ、できればかけがえのない自分自身の人生を測りうるオリジナルのモノサシを作る機会を作りたいものだと思います。