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通信50 青年期と美術と心


静岡産業大学経営学部講師 佐藤 寛子
E-mail : h-sato@ssu.ac.jp
 大学院で学んでいた時のことです。メディアを通して、アートセラピーという言葉を耳にするようになりました。アメリカ合衆国で学び、日本でアートセラピーを始めた人達の紹介でした。私の専攻は美術教育でしたので、アートセラピーは美術なのか、心理学なのか、当時の美術教育の先生に尋ねたことがあります。美術教育では造形表現を個々の人格や美的感性の現れとして、心理学では類型化を通して捉えようとするアプローチの違いだとの説明を頂きました。専門分野とはアプローチの違いでもあるんだと、研究の世界に一歩足を踏み入れた気になったことを覚えています。
 ところで、学問としてのアプローチは違えども、アートセラピーという言葉が象徴するように、美術や造形表現と心は分かち難い関係にあります。その関係を心理学の「昇華」と「カタルシス」の2つの言葉から探ってみました。
「昇華」とは、抑圧された負のエネルギーを芸術活動や知的活動などの高次な社会的活動に置き換える自我の防衛機制の働きです。学生の皆さんは今青年期の只中にいます。アメリカの心理学者スタンレー・ホールは青年期を疾風怒濤(しっぷうどとう)*の時代と呼びました。青年期は自我意識や社会意識の高まりから、大人や社会に対する葛藤や複雑な感情が嵐のように吹き荒れ、錯綜する時期です。時に激しい憤りや閉塞感、無力感や焦燥感はまさに疾風怒濤の如く高いエネルギーとなり心が揺さぶられることもあるでしょう。行き場のない心のエネルギーを描いたりつくったりすること、芸術活動へ向けることは昇華です。美術や造形表現は芸術家だけの特権ではありません。大切に守り続けてきた美的世界を疾風怒濤のエネルギーでキャンバスに投じることも、青年期の今だからできる表現でしょう。
 一方、「カタルシス」はギリシャ語の「浄化」「排泄」を意味します。アリストテレスが『詩学』の中で「悲劇の機能は観客に憐憫(れんびん)と恐怖とを引き起こして、この種の感情のカタルシスを達成することにある」と記したことから、感情や精神の浄化作用を意味して使われるようになりました。現在も刑事ドラマや医療ドラマ、恋愛ドラマが多いのは、事件や事故、病気や怪我、失恋の恐怖を浄化する=カタルシスの効果を視聴者が期待しているからでしょう。しかし、感情や精神の浄化作用をもたらすのは演劇(ドラマ)だけではありません。美術も然り。青年期の純粋で鋭敏な感性は大人や社会の老獪(ろうかい)さや偽善を見抜くと同時に、時に傷つき、荒(すさ)み、疲弊しています。美しい視覚芸術との出会いによる美的体験は、そんな心を引き上げて解放し、本来の自分に引き戻します。それもまたカタルシスです。どんな苦境にあっても自律した美的世界の住人であれば、自分自身であり続けることができるのです。
 さて、青年期を謳歌する学生の皆さんは、美術が自身の生活や人生とはあまり縁のないものだと思っていませんか。まずは美術館に足を運んでみましょう。県や市には公立の美術館があり、学生は無料で観覧可能な展示もあります。美的体験は創作意欲を刺激します。学生時代に疾風怒濤の心のエネルギーを創作活動に向けることも、良質な芸術作品と出会い心を浄化することも、今だからできる学びであり、これからの長い人生の糧となることに違いありません。


* 言葉の由来はクリンガーの戯曲「疾風怒濤(Sturm und Drang)」(1776年)である。「疾風怒濤」は詩人ゲーテやシラーの文学運動や心理学者スタンレー・ホールが青年期を喩えた言葉として用いられた。