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通信17「ベースとしての哲学」


静岡産業大学 非常勤講師 小林正宗

高校生の頃、法学や経済学といった「実学」を学びたいと思っていたが、結局はビジネスでは何の役にも立たない哲学という「虚学」を選択した。当時、どんなことを考えて哲学科を選んだのかは、もうぼんやりとしか覚えていないが、「自分の将来を20歳にもなっていないうちに決められるのはまっぴらだ。一番『色』がつかない虚学を学ぶことこそ大事だ」という、いかにも未成年らしい青臭い考えだったような気がする。
縁あって30歳を超えてビジネス・スクールに進学し、大学院で経営学を学ぶ機会があった。実学はほとんど学んだことがなかったので楽しかったが、1年生を終えるころ、はたと気づいた。「経営学のセンセイのほとんどは、実際の経営をしたことがない」。

経済学者や文学者のほとんどは、その道の「プロ」といっても過言でないのに、経営学者は「経営のプロ」とは言われない。むしろ経営のプロといってすぐに想像できるのは、故松下幸之助さんや故本田宗一郎さんなどだ。
彼らは、大学はおろか、高校すら出ていないが、その道のプロと呼ばれる。経営の面白いところは、机で学んだからと言って「プロ」にはなれない点だと思う。むしろ、実際の取引やチーム・マネジメント、交渉、会議などを通じて学び、それを実際に使える「哲学」にまで昇華することが経営上の成功の秘訣だろう。経営のプロと呼ばれる人たちには、皆、哲学があるのだ。

大学時代に学んだ心理学部の授業では、先生が心理学のことをこう解説していた。
「心理学は、哲学を父に、医学を母に生まれた学問です。今は母親の影響が強いと言われていますが、父親がなければ生まれなかったものでもあります」と。
現在自分はメディファーム株式会社という医療系のコンサルティングファームを経営しながら、経営学部で心理学関連の講義を受け持っている。そこで思うのは、経営も心理学も哲学がベースになっていることだ。経営学も心理学も「それを一体何に応用するのか?」考えることなしに学んでも、おおよそ意味がない。せっかくの実学が虚学になってしまう。
「自分は何をしたくてこれを学ぶのか?」「この体験を通じて自分は何を学びたいのか?」という人生の道しるべ(=哲学)なしに学ぶことは虚しい。学生たちは、走りながらでも構わないので、ぜひ自分なりの哲学を作ってほしい。