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改訂されたDSM第5版(DSM-5)について想うこと ~UnderstandingからCompassin( 思いやり、仁) への道~


特任教授 大日方 重利(臨床心理学、カウンセリング(教育・産業))

 「DMS-5」とは、2013年にアメリカ精神医学会が発表した「Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders 5th Edition 」のことであり、我が国では一昨年(2014年)に日本精神神経学会の翻訳により「DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル」として医学書院から刊行された。精神医学、臨床心理学、精神保健、社会福祉などの分野では知らない人はいないといえる、各種精神疾患(精神障がい)の診断のための国際的なバイブルである。

 いわゆる精神疾患といわれる症状は多岐多様であり、その診断分類はドイツの精神医学者で近代の精神医学の体系を打ち立てたクレペリン(Kr"aepelin)から始まった(因みに、我が国でもよく使われる内田クレペリン精神検査の原作者でもある)。19世紀後半に彼は、重篤な精神病としての統合失調症と躁鬱病やその他の諸症状を定義し、またそれぞれにおける下位タイプ(亜種)を分類している。この分類体系が20世紀半ばまで欧米や日本など世界各国において使われてきた。現在でもいくつかの疾患名は病名としてしばしば使われている。しかし精神の状態は、身体・生理的状態と比べると極めて流動的変化しやすく、また個体間差異も大きいことが特徴である。その上に環境的状況によっても大きく変化流転しやすい。したがって、諸々の精神疾患といわれる状態についての医学的な診断も、専門家の間によって違い認められたり、文化・社会の違いによっても影響を受けることもある。その背景には、精神疾患なるものの原因が特定できていない場合も少なくないことがあげられる。

 そのために、アメリカ精神医学会(APA)は、様々な精神疾患について、その原因よりは症状によって分類記述することにより、医学界はじめ関連諸分野及び国際的にも精神疾患に関する診断分類を客観的に共通理解できることを目指して考えられたのがDSMである。

 このDSMは上述のごとく4回目の改定がなされてDSM-5になったのであるが、それ以前の2回目の改定版DSM-Ⅲ(1980年)からは特に多大な貢献があった。すなわちDSM-Ⅲにおいては、各種の精神疾患の診断基準として具体的な精神徴候を列挙して一定数以上の徴候数が確認されるか否かによるという診断法(カテゴリー診断)、さらにそのような精神疾患面(第Ⅰ軸)のみでなく第Ⅱ軸(人格障がい)、第Ⅲ軸(一般身体疾患)、第Ⅳ軸(心理社会的・環境的問題)、第Ⅴ軸(精神機能の全体的評定)を総合しての多軸診断も採用されたことによる。したがって、このような新しい診断法の出現により、多種多様で複雑な精神疾患についての国際的な共通理解が進んだのである。

 このような多軸診断法は次の改定(DSM-Ⅳ、1994年)においても踏襲され、今回の改定までほぼ20年が経過したのである。こうして診断基準についての共通理解は進んできた一方で、様々な精神疾患についてその特徴を明確に分類することの困難さとともに、関連した一群の疾患群において、そこに属する下位(亜種)の疾患の捉え方・診断基準も錯綜するという状況も顕著になってきた。いわば、これまで別々の疾患名で呼ばれてきた各疾患の間の区別が難しい事例が多く存在することが分かってきた。

 このような状況を踏まえて今回のDSM-5においては、種々の改定がなされているが、全体を通じて最も大きな改定の眼目は、類似した各種疾患についての見方を症状の違いよりも程度(レベル)の違いという観点から連続体(スペクトラム)として捉えるという試みが前面に押し出されてきたことであろう。そのために従来の多軸診断は廃止された(もっとも、その基本的な考え方は維持されているといえる)。具体的に言えば、従来は子どもにおける症状としての広汎性発達障がいという大きな範疇のなかに自閉性障がい、レット障がい、小児期崩壊性障がい、アスペルガー障がい、非特定自閉症という分類がなされていた。これらの各障がいはそれぞれ独自の特徴を有するとともに、重複した特徴もあり、診断がしばしば錯綜したり、困難さを来したりしてきた。そのため、今回の改定版(DSM-5)においては、これらの症状(障がい)を一括して「自閉症スペクトラム」と命名し、5つの診断基準が設定された。さらにこのスペクトラムは、症状の重い状態の自閉症から軽い状態の自閉症へと連続体をなしており、最後の軽いほうでは健常な人の状態に連続しているという捉え方といえる。

 このような改訂はまた、成人における統合失調症に関しても認められる。従来は統合失調症やその類縁としても統合失調症様障がい、短期精神病性障がい、妄想性障がい、また各種の人格障がいなどに羅列的に分類されていた。ここにおいても、上記の自閉症と同様に、各種の症状(障がい)の間に重複や移行型が認められる。そのためにDSM-5においては、これらの諸症状を「統合失調症スペクトラム」という概念にまとめ、且つその程度(レベル)の違いとして、最も重い程度の統合失調症から順に、統合失調症様障がい、短期精神病性障がい、妄想性障がい、失調型人格障がいという連続体として捉えられている。

 ところで、見てきたような精神障がいについての連続体(スペクトラム)としての捉え方は、概念的に全く新しいものではないといえる。すなわち、既に従来から提唱されているところの精神状態の「正常―異常連続説」の流れに沿うように思われる。米国の臨床心理学者Korchinによれば、既に18世紀にJackson(1874)が、各種の精神疾患について心理的機能の低下の程度によって分類することを提案している。更に近年になってからは、Engel(1962) やMenningerら(1963 )によって、各種の精神疾患の診断において、精神機能がある程度の統制不全やまとまりのなさがみられる、最も軽い機能障がいの第一レベルから、機能障がいが極めて悪化し適応性が最低である最も重い第五レベルまでの5段階に分類している。

 したがって、今回のDSM-5の改定は、過去の考え方に回帰したというよりも、個人の精神状態について環境との関わり方つまり対処能力の面から見直すことにより、人間の精神について硬直した見方ではなく、より柔軟な見方をすることにより、各種の精神疾患についてより実際的で有効性のある対応をしていくことの重要性を強く打ち出したものと考えられる。

 因みに精神疾患とか精神障がいという名称であるが、英語表記ではMental Disoderであって、一般に身体的疾患として使われるSickness, Illness,Disease などではない。これら後者の3つは元々何らかの“病気”という意味であるが、Disorderの第一義は「秩序または秩序正しい配置の欠如:CONFUSION(混乱)」であり、第ニ義として「肉体または精神の異常な状態:SICKNESS(病気)、Ailment (軽いわずらい)」である(ウェブスター英英和辞典、エンサイクロぺディア・ブリタニア・ジャパン刊 による)。従って、冒頭でも述べたように精神疾患とか精神障がいについては、その定義や診断に曖昧さが付きまとうものであり、広い意味で精神状態の混乱している状態であり、その程度も軽い状態から重い状態までを網羅するという意味で、英語圏においてはSicknessなどのような元来の病気という表現をしないでdisrderという幅や柔軟性のある言い方が用いられていると考えられる。このことは精神疾患(精神障がい)に対して人々が偏狭な固定観念を持たないように、さらに人々が差別や偏見を持つことのないようにという配慮にもつながるものと思われる。

 因みにわが国においても、厚生労働省の産業精神保健に関する行政用語として「メンタルヘルス不調」(つまり精神保健上の不調状態)という用語が用いられているが、この表現も該当者や家族など関係者に対する優しい配慮が感じられる。

 最後に本テーマからはいささか飛躍するかもしれないが、、一昨年から我が国を海外にアピールするために「おもてなし」が強調されているが、この精神のみでなく他者や諸外国・国民に対する「思いやり」(Compassion)」もしくは儒家における最高道徳の「仁」の心を合わせ持って行動することが、国際協調や国際平和のために肝要であろうと信じるところである。