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建国期アメリカ財政とオランダ資本


学部長 教授 松本幸男(経済史、金融史)

 私は建国期アメリカ経済史を研究していますが、研究の一端を紹介しましょう。

 現在、新興国は、様々な内外の諸問題に対処しながら経済発展をめざしていきますが、その際、財政的には国内の租税収入だけでは賄いきれず、外国(先進国)借款に依存していることは周知のところです。

 ところで、世界の政治経済大国であるアメリカ合衆国も200年余り前はイギリス植民地から独立した新興国でした。独立間もない新興国アメリカ財政も一部外国借款とりわけオランダ資本に依存していました。この点について少々説明しましょう。

 周知のよう、北アメリカにおける13のイギリス植民地は連合してイギリスに対して独立革命(1775年―1783年)を遂行し、その結果、1783年9月3日、パリ平和講和条約の調印によりイギリスからアメリカ合衆国の独立が承認されます。新興国アメリカ合衆国の誕生です。その後、「危機の時代」を経て、1787年5月、フィラデルフィアにおいて憲法制定会議が開催され、連邦共和国の国制を規定した「合衆国憲法」草案が採択されました。草案は各邦憲法批准会議の承認を徐々に獲得していき、13邦のうち9邦が批准すれば新憲法の発行が有効であったので、ニューハンプシャー邦が9番目の邦として1788年6月に批准したことから「合衆国憲法」が発効されました。その結果、1789年3月4日、新合衆国憲法の下に新連邦議会がニューヨークで開催され、4月30日ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任しまた。この大統領の下に新連邦政府が組織され、初代財務長官にアレグザンダー・ハミルトンが任命されました。当時、連邦政府は、独立革命に要した多額の戦時公債の償還問題(独立革命の総戦費は1億強ドルであり、そのうち内外借款は7912万ドルに上りました)をはじめとして、国内的には対インディアン部族戦争費用、ウイスキー一揆鎮圧費などの問題、対外的にはアルジェ海賊との外交費用、対イギリス国際危機に備える費用の問題、さらに戦時公債の市場価格を支える費用、対ポンド・スターリング相場を支える費用の問題に直面していました。

 とりわけ戦時公債の償還が一番大きな問題でした。未払いの利子および元金を償還できなければ独立したばかりのアメリカ合衆国の国家としての信用すなわち公信用は崩壊し、当時の世界政治経済の中での新興国アメリカの発展はありえませんでした。連邦政府の財源は輸入関税、トン税、蒸留酒税でしたが、これらだけの租税収入だけではすべてを賄うことはできませんでした。

 そこで、ハミルトンは、外債(元金1007万ドル[内訳:フランス630万ドル、オランダ360万ドル、スペイン17万ドル]、未払い利子164万ドル)の償還については一部オランダ借款をも利用して行おうと考えました。1790年から1794年にかけて総額2350万フロリン=940万ドル(1.1790年11月300万フロリン利率5%償還年賦5年、2.1791年3月250万フロリン利率5%償還年賦5年、3.1791年9月600万フロリン利率5%償還年賦5年、4.1791年11月205万フロリン利率4.5%償還年賦3年、5.1791年12月300万フロリン利率4%償還年賦5年、6.1792年6月300万フロリン利率4%償還年賦5年、7.1793年?月95万フロリン利率5%償還年賦1年、8.1794年4月300万フロリン利率5%償還年賦5年)を借款します。この借款は、アムステルダムのマーチャント・バンカーであるウィリンク商会、ファン・スタプホルト商会、ヒュッバルト商会が発行引受け業者となりアムステルダム金融市場においてアメリカ合衆国債を発行する方法で行われました。(4.の起債についてはアントワープのデ・ウォルフ商会が発行引受け業者となりました。)

 このように、オランダ借款をも利用することによって独立戦争債務の一つであった約1200万ドルにも上る外債の償還が可能となりました。その結果、アメリカの対外信用は高まることになったのです。

また、連邦政府に貸付をおこない連邦政府財政を支える国立銀行としてハミルトンが1791年に設立した第1次合衆国銀行(資本金1000万ドル)の1793年12月23日付の貸借対照表(フィラデルフィア本店)を見ますと、「オランダよりの借入金」勘定(375万フロリン=150万ドル)が見出されます。これは、上述のマーチャント・バンカーであるウィリンク-ファン・スタプホルト商会からの借入金勘定です。この勘定を分析すると、当時連邦政府が直面していた問題の一つである外国為替手形の供給不足とそれによる外国為替相場(対ポンド・スターリング相場)の悪化の問題に対応するものであったことがわかります。

 以上のように、新興国アメリカは、当時経済力として昔日の面影はなくなっていたが依然として世界金融の中心に位置していたオランダの余裕資金をも取り込んで国家財政の強化をはかったことがわかります。(松本幸男『建国初期アメリカ財政史の研究-モリス財政政策からハミルトン体制へ-』刀水書房 2011年)