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ゲシュタルト心理学 ~カウンセラーの「目(感覚)」をもつと・・・~


准教授 藤田依久子(社会心理学,臨床心理学)

 私は、今から十年程前となりますが、沖縄県の石垣島で臨床心理カウンセラーとして働いていました。

 カウンセラーの仕事というのは、クライアントの話を聞くというところから始まります。そうした仕事の性質上、クライアントではない人達の話にも自然に注意が向くようになっていきます。ファーストフード店にいる、ある女子高生達が話している次のような会話に興味を持ちました。

 「これ、やばくない?」 こういった相手に対して同意を求める会話が、若者達から多く聞かれるようになってきました。「~って~くない?」という言い回しがとても多くなっていて、会話の中心にあるようにさえ思われるのです。

 ゲシュタルト療法では、例えば「今日、雨に降られた。」とか「私は、いじめられている。」とか「私は~のように感じられる。」といった受身や使役の表現をクライアントがすると、カウンセラーはそれを能動的な表現に変えていくようにアドバイスをします。

 例えば「私は、今日雨が降ることを予想できなかった。」とか「私は、いじめに対してなんら有効な対応策を立てられずにいる。」あるいは「私は、いじめに対して対応策は立てたがまだそれを実行していない。」「私は~のように感じる。」といった表現に改めていくわけです。

 また、我々が日常よく使う「人はみな~のように感じるものだ。」とか「それは、普通~でしょう。」といったような物事を一般化するような表現も一人称で表わすように修正していく、という方法もよくとられます。

 ゲシュタルト心理学というと多くの人は向かい合った「顔と杯」の図を思い出すでしょう。全体の図を向かい合った「顔」の部分を地として見ると図として「杯」が見えてきます。「杯」を地として見ると向かい合った顔が図として見えてきます。同じものであったとしても見る人の見方によって物事は何通りにも見えてくるのです。「雨に降られた。」という状況、「いじめにあっている。」という状況も、その人の見る見方によって違った風景が見えてくることがあるのです。

 これらのことが意図していることは、物事を主体的・自律的にとらえなおすことなのです。ゲシュタルト療法では、人が今の自分を変えていったり、自分に自信を持って生きていく為には、自分の内部からのサポートが必要である、と考えています。つまり、自分を変えていく力や、自分に自信を持って生きていくことが出来る力は、決して自分の外部にはなく、それは自分自身の内部にしかない、ということなのです。
 人が子供から大人へと成長するということは、親や自分を支えてくれる周りの人達のサポートから離れ、自分自身の内部からのサポートを獲得していくことである、とも言えるでしょう。そうした人間が自立する能力は本来、人間には誰にでも備わっているのです。

 若者達の間でよく見られる、相手に対して同意を求める表現は、主体性や自律性の欠如をあらわしています。言葉遣いだけではなく、その他の現象においても、このことがいえます。朝のテレビのニュース番組の中に星占いのコーナーがあって多くの人はそれを見ています。自分の生活を星占いに頼っているのです。また、テレビ番組の中には100人中何人が~といったクイズもよく見られます。日本人はみんな他人のことをとても気にしているのです。「自分は他人に変に思われていないか?」「自分だけがみんなから、のけ者にされるのは嫌だ。」といった気持ちです。

 前述の女子高生の会話「これ、やばくない?」というのは、「これ、とても美味しいよね。」という意味です。「やばい」という言葉は、もともとは「危険である」ということを意味します。ところが若い人達の中では、それが「とても美味しい」という意味に使われることがあるのです。つまり「やばい」という言葉は、「危険である」という意味にも「美味しい」という意味にも使われているのです。この「やばい」という言葉だけではなく、若者達が使う言葉にはあいまいなものが多い、という特徴があります。

 それは彼らが、物事に対して断定した言い方をしたくない、ということの表れなのではないでしょうか。なぜ彼らは物事を断定するような言い方を好まないのでしょう。それは、おそらく物事を断定するはっきりした言い方をした時に、仲間と意見が合わず、その場で自分だけが浮いてしまう、ということを若者達は、恐れているのではないでしょうか。その為、若者達は「私は~だ。」といった言いきるような表現をあまり好まないのだと思われます。仲間達から浮き上がらないように仲間に適当に話を合わせ、その場を楽しく過ごしているという若者達の姿が想像されます。

 しかし、今の若者達があまりにも主体性・自律性がなく、他人の顔色ばかりを気にして生きているのだとしたら、「これってちょっとやばくない?」と思ってしまうのですが。