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建国初期アメリカとオランダ資本


学部長 教授 松本幸男(アメリカ経済史、アメリカ金融史)

 独立革命の終盤の時期から建国初期にかけてオランダ民間資本がアメリカへ流入してきました。それは広範囲に見られました。合衆国政府への貸し付け、邦政府への貸し付け、銀行株式への投資、銀行への貸し付け、土地投機会社への投資等々にわたって見られました。アメリカ国家財政との関連で見ると、1782年から1793年までの期間におけるアメリカ合衆国政府への貸し付けは、Kolmeierによると39,450,000フロリン(15,780,000ドル)に上りました。

 この期間におけるアメリカへのオランダ資本の流入についてのわが国の従来の研究は、土地投機会社との関連が中心であり、アメリカにおける資本主義的発展にとってオランダ投資は積極的な役割を果さず、むしろ投機熱を煽って正常な資本主義的発展を撹乱させる要因の一つであった、とする評価が支配的です。

 しかし、オランダ資本の流入は、土地投機会社だけを対象とするものではなく、国家財政とのかかわりも多く、むしろ1795年まではその方が主流でありました。それは、アメリカ独立革命の革命政府である大陸会議が財政難のためにアムステルダム金融市場において1782年にアメリカ合衆国政府債を起債(500万フロリン=200万ドル)することから始まりました。その後、1784年の起債(200万フロリン=40万ドル)、1787年の起債(100万フロリン)、1788年の起債(100万フロリン)、合衆国憲法の制定に基づいて成立したワシントン政権下でのハミルトン財政の下での1790年の起債(300万フロリン)、1791年の起債(250万フロリン、600万フロリン、205万フロリン、300万フロリン、)、1792年の起債(300万フロリン)、1793年の起債(95万フロリン)、1794年の起債(300万フロリン)と続きました。ハミルトン財政下の1790年から1794年の起債総額2350万フロリン=940万ドルは、独立革命時に獲得されたフランス政府借款の部分的償還(約630万ドル)、同じく独立革命時に獲得されたスペイン政府借款(17万4千ドル強)とその利子(9万4千ドル強)のすべての償還にあてられ、さらに独立革命に従軍した外国人将校の給料支払い請求に対する利子(10万5千フロリン)の償還にあてられました。

 さらにまた1782年のオランダでの起債500万フロリンの1793年から始まる年賦償還にあてられました。このように、オランダでの起債により独立革命債務の一つであった約1200万ドル弱に上る外債の部分的償還がおこなわれたのです。その結果、独立したばかりの新興国アメリカの対外信用が高められることになったのです。しかも、残余部分は国内債(独立革命の戦費調達のために革命政府である大陸会議が発行した年利6%の政府債)の買上げにも使われ、国内の公債の市場価格を支えるのに使われました。こうしてオランダでの借款は独立したばかりの新興国アメリカの内外の公信用の維持に役立ったのです。それ故、オランダ資本の流入を当時のアメリカ国家財政とのかかわりあいでもう少し積極的に評価してもよいのではないか、と考えます。

 ところで、この一連の起債は、当時のアメリカ合衆国政府関係者がアムステルダムのマーチャント・バンカーと借款交渉(起債を引き受けてくれるのか、起債額をどのぐらいにするのか、利率は何%にするのか、手数料は何%にするのか、償還開始は何年何月からおこなわれ何年間に渡って行われるのか )する方法でおこなわれました。起債を引き受けたのが、アムステルダムのマーチャント・バンカーであるウィリンク商会、ファン・スタプホルト商会、ド・ラ・ランデ・アンド・フィンジェ商会でした。これらの商会が、ウィリンク商会を幹事銀行とする発行引受け機関としてのコンソーシアムを組織してアメリカ合衆国政府債の引受け業者となり、起債がおこなわれました。当時のアムステルダム金融市場の仕組みは、次のようになっていました。まず、債券発行引受け業務をおこなう業者がいました。かれらは銀行家Bankerと呼ばれ、マーチャント・バンカーであり、かれらは引き受け総額の数%の手数料を取りました。上述したウィリンク商会、ファン・スタプホルト商会、ド・ラ・ランデ・アンド・フィンジェ商会もこの債券引受け業者でした。次に、この銀行家から債券を引き取り、市場を駆け回ってコッミッション・エージェントCommission agentに債券を販売するブローカーBrokerがいました。かれらも起債引受け総額の数%(通常0.5%)の手数料を取りました。そして最後に、一般投資家に債券を販売するコッミッション・エージェントがおり、かれらも起債引受け総額の数%の手数料を取りました。たとえば、上述した1782年の借款は起債引受額500万フロリン、利率5%、手数料4.5%(マーチャント・バンカーの手数料2%+ブローカーの手数料0.5%+コミッション・エージェント2%)、償還年賦5年(1793年~97年)でした。

 新興国アメリカは、当時経済力として昔日の面影はなくなっていたが依然として世界金融の中心に位置していたオランダの豊富な余剰資本を自国の財政面に取り入れていたのです。オランダ資本は独立間もない新興国アメリカの政治的、経済的安定への一助に資したと言えます。
(文献: Albelt Ludwig Kohlmeier, “The Commerce between The United States and The Netherland, 1783-1789”, Indiana University Studies, 12, Bloomington, 1925./Pieter J. Van Winter, American Finance and Dutch Investment 1780-1805, Volume I, Arno Press, New York, 1977. /Rafael A. Bayley(Treasury Department), The National Loans of The United States, from July4,1776 to June30,1880, Washington, Government Printing Office,1882./ 松本幸男 『建国初期アメリカ財政史の研究―モリス財政政策からハミルトン体制へ―』刀水書房 2011年。)