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ソーシャルネットワークへの介入の違和感


准教授 葉口英子(広告論、音楽学、メディア論)

「今○○(場所)にインしました」
「今日のランチは、○○(店名)で□□(メニューの写真)、おいしかった〜(・´∀`・) 」

 どこぞの誰かの日常のどうでもよい情報、もとい、たわいもないこのような情報のやりとりがソーシャルネットワーク・サービス(SNS)上では頻繁におこなわれている。私もmixiやFacebookやオンラインゲームにちらっと参加しているので他人ごとではないのだが、正直なところ誰がどこで何をしていようが、何を食べていようがほとんどの人がどうでもよいと思っているんじゃないのかな、と感じてしまう。逆に情報を発信する場合、自分の居場所や食べたものなどこんなしょうもない情報を公に流してもいいのかしらん、とおおいに疑問に感じるし、自分の綴った文章があまりにもつまらない内容なのでアップする価値がないのでは、とやめてしまうこともある。

 私はまだ旧世代に属するのだろう。情報というものは、パブリックな場に提供するにふさわしい、他人にとってもある程度は‘有益なもの’であるべきだという暗黙の前提が私の中にあり、それがSNSを遠ざけてしまっている原因にちがいない。さらに自分の居場所やしていることを不特定多数の人に知られてしまうことに対する怖さのようなものも先立ってしまうのだ。

 しかし冒頭のような内容に対して、SNS上のネットワークで繋がった人たちは、次々と更新される内容に何かしらのコメントを書き込んだり、「いいね!」と足跡を残したりする。なぜこのようなやりとりが成り立つのだろうか。それは情報の内容の良し悪しや価値判断とは関係なく、情報をやりとりしているありよう、つまり情報を「共有」していることに価値があるからだといえよう。あるネットコミュニティにおいてある情報が複数の人によって共有され、その共有された情報の流れがネットワークを活性化したり、人と人との繋がりを実感させたり、といったことが重要なのだ。したがって、SNS上でのコミュニケーションの価値観、あるいは人間関係で核となるキーワードが「共有(=シェア)」「共感」「繋がり」になるのは当然だといえる。

 ネット社会の本格的な到来をまさに同時進行で経験している今、人文科学領域でも最新のテーマとしてSNS、ソーシャルメディアに関する新刊が数多く出版されている。新しいメディアの登場がメディア・ビジネス・コミュニティ・人間関係など多様な領域にまたがってさまざまな問題を投げかけているのだ。そのアクチュアルな事象に介入していけるよう、まずは他人の書いた内容に躊躇なく「いいね!」とポチッとクリックすることからはじめないといけないようだ。