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日本の城・静岡の城


准教授 禰冝田廸彦(経営情報、コンピュータ会計、社会労働保険)

 静岡県には600以上もの城があるといわれています。日本全体では数えきれないほどでしょう。その中で、日本城郭協会は日本百名城を選びました。静岡では三島市の山中城、駿府城、掛川城が選ばれています。

 城の歴史を見ると、原始時代では掘と土塁や柵で防御を施した環濠集落が生まれました。佐賀県の吉野ケ里遺跡が代表ですが静岡では浜松市の伊場遺跡があります。古代では、日本が唐・新羅の連合軍に白村江の戦いで惨敗し、大陸軍の侵攻に備えて、石垣の城壁で囲まれた古代山城が築かれました。その中で、岡山県の鬼ノ城は最大級の規模です。奈良時代には築地や堀で囲まれた官衙(かんが:役所)が置かれました。磐田市の長者屋敷や藤枝市の志太郡衙がこれに当たると考えられます。鎌倉幕府以降、武士たちは館(やかた)を構えました。栃木県の足利氏館や藤枝市の岡部氏館があります。戦国時代になると三島市の山中城や掛川市の高天神城のように、尾根を利用して曲輪を配置して防衛構造を強化した山城が築かれました。戦国末期になると小大名が淘汰され、力ある戦国大名は城を政治・経済の中心にするために、浜松城のように小高い丘に立地する平山城を築きました。安土桃山時代以降になると城郭建築技術の目覚ましい進化により、巨大な天守・櫓を構え、高い石垣の城壁で囲まれた熊本城や姫路城などの平城の建築ラッシュとなりました。幕末には欧州の稜堡(りょうほ)形式による函館の五稜郭が築かれました。

 城と言うと天守閣のある平城がまず思い浮かびますが、江戸幕府は「一国一城」令を発布して、支城をすべて破壊させました。明治維新となると、廃藩置県による廃城令により多くの城が破壊され、熊本城は西南戦争で焼け落ちました。さらに太平洋戦争で焼けた城も多くあります。その結果、江戸時代から残っている天守閣は12で、現存12天守と呼ばれています。残念ながら静岡県にはありませんが、掛川城は高知城を参考に、最初に木造により再建された天守です。また、二の丸御殿は全国でも数少ない現存御殿遺構です。

 城造りの戦国武将としては熊本城の加藤清正が有名ですが、伊勢・伊賀32万石の大名となった藤堂高寅は宇和島城、今治城、伊賀上野城、津城、伏見城、二条、江戸城などを築城し、名古屋城、駿府城、新大阪城の築城にも参加しており、屈指の城づくり名人と言えます。

 世界遺産には姫路城、沖縄の城群(首里城、今帰仁城、中城城、勝連城、座喜味城)および古都京都の文化財として二条城が登録されており、彦根城が候補としての暫定リストになっています。姫路城、彦根城、松本城、犬山城は国宝になっています。また、名古屋城、大阪城、熊本城は壮大な石垣による縄張りで日本三名城と言われています。このように、一口で城と言ってもバラエティが広く、歴史のロマンを感じることができます。

駿府城

山中城

掛川城

今帰仁城

鬼ノ城

吉野ヶ里遺跡

○現存12天守

弘前城(青森県)

松本城(長野県)

丸岡城(福井県)

犬山城(愛知県)

彦根城(滋賀県)

姫路城(兵庫県)

松江城(島根県)

備中松山城(岡山県)

丸亀城(香川県)

伊予松山城(愛媛県)

宇和島城(愛媛県)

高知城(高知県)