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アメリカの公信用


教授 松本幸男(アメリカ経済史、アメリカ金融史)

 最近、アメリカ国債が、世界の主要国の国債の信用を格付けしている専門会社であるムーディーズ・インベスターズ・サービスやスタンダード・アンド・プァーズ、フィッチ・レーティングスなどから、一番上の信用度から2番目の信用度に格下げされた。スタンダード・アンド・プァーズ社の格付けランクに従うと、「AAA」から「AA+」に引き下げられた。「AAA」を格付けされているのはイギリス、ドイツ、フランス、カナダ、オーストラリアであり、その下のランクにアメリカは各付けされたのである。アメリカの国債はこれらの国々のそれよりも信用度が低いということである。ちなみに日本の国債の格付けは第4番目の「AA-」である。

 国債は国の借金であるから、その国の財政力が国債評価の基本となる。アメリカにおいては長期的な経済力の弱さから歳入が増える兆しはなく財政赤字が続き、一方、このまま放っておけば国債残高はどんどん増え続けていくということから、アメリカ国債は上記のように格下げされたのである。国が借りたカネを将来期限通りに返せるか、利子が厳守して支払われるのかという不安がアメリカに対してもたれたのである。まさにアメリカの公信用Public Creditに疑問符をつけたのである。

 公信用とは、貨幣資本家から貨幣を借りることができる能力を意味する。それはほぼ公債(国債)と同義語に用いられている。しかし、公信用には元来もっと広い意味がある。すなわち、国家が借りる前に、国家が自己の名誉と正直の維持によって相手に信用されている状態にあるということが公信用の意味に含まれている。したがって、公信用とは、内外に対する信頼を意味する。今や、アメリカにおいてはその信頼が揺らいだのである。アメリカの歴史上初めて公信用が揺らいだのである。そもそもアメリカほど建国に際し、公信用の維持・確立に注意を払った国はない。

 周知のように、アメリカ合衆国はもともとイギリスの植民地であった。北アメリカにおけるイギリスの13植民地は、連合して本国イギリスに対して独立革命を引き起こした。勝利して1783年、政治的独立を勝ち取った。ここに新興国アメリカ合衆国が誕生した。この独立革命は、7年以上に及ぶ長期の戦争であったので、莫大な戦費(1億数千万ドル)を必要とした。当然その全額を、大陸会議(独立革命を遂行するための13邦[各植民地は独立して邦と呼ばれた]からなる連合政府=中央政府)および13邦政府は直接まかなうことができず、内外の債務に頼らざるをえなかった。これがいわゆる戦時公債(1789年末の時点で、7912万ドル)であった。外債は、独立革命中アメリカを支援してくれた国々(フランス、スペイン、オランダ)からの債務であり、その誠実な返済ができないとなれば、新興国アメリカの対外信用はなくなることになる。内債は、大陸会議および邦政府がさまざまな形で広く市民から負った公的債務であり、イギリスから自由を勝ち取るための代価にほかならなかった。

 それ故、内外債の誠実な返済は合衆国政府の内外信用にかかわる問題であり、もし、その誠実な返済がおこなわれなければ、国民の新政府に対する支持は失われ、同時に外国からの支持も失われる。ひいてはせっかく勝ち取った独立を危うくしてしまう恐れがあった。したがって、公信用を確立・維持することが絶対に不可避な問題であった。

 このことから、建国の父祖達は、新興国アメリカのまずやるべき仕事は、戦時債務の誠実な返済であるということを認識した。初代財務長官アレグザンダー・ハミルトンは、元利とも遅滞している巨額な内外の戦時債務を、整理統合し、全額額面価値通りに確定公債に借り換え、中央政府租税を基金として元利を償還するという公債確定政策を実施した。かくして、アメリカ合衆国の公信用は確立したのである。

 ハミルトンがなしえた公信用の確立の偉業は200年余り経たつい最近までつづいていたのである。しかし、ここに至って、上述の如くアメリカの公信用が揺らいだのである。アメリカ財務省の正面玄関の前にハミルトン像が立っている。ハミルトンは財務省を護っているのである。しかし、現在のこの事態を見て、ハミルトンはどう思っているのであろうか。