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「スポーツと座学、私だから感じることを」


准教授 窪田辰政 (健康管理学、健康運動心理学、テニス)

 私の授業はいつも、学生自身がつくり上げるべき「安全な空間」を強調するところから始まります。「自分を励ます最良の方法とは誰かを励ますことである」とはある偉人の言葉ですが、誰しもが失敗し得る挑戦の場としての授業を大切にしつつ、その失敗を挫折に変えない最良の方法とは、常に学生同士が励ましあうような言葉が飛び交う空間を率先して形成することです。このことの意味は多岐にわたります。

 たとえ落ち込んでしまう状況でも、周囲の理解が感じられるために、それが大きな挫折に繋がりにくい。また、他者の失敗を認めてあげることで、自分の失敗も些細なことのように思える。励ましの言葉は、確かに自分にも返ってきます。全体としてみれば、誰しもが等しく成長できる、障害の少ない空間が作られるのです。 またこの経験は、社会に出た後も他者の成長を促す力として、彼ら自身にとっても無駄ではありません。特にスポーツ・経営や教職課程といった理論を含みながらも、実際的には人とのかかわり合いを主な活躍のフィールドとすることの多い本学の場合、学生は多大な重責を背負う進路を選ぶこともあり、その価値は時に計りしれないものとなります。

 さて、スポーツと座学、このまったく異なる授業を受け持つことの困難さとは何でしょうか。準備のわずらわしさ、わかりやすい説明をすることの難しさ、飽きさせない授業の仕方の追求・・・。それらすべてが非常に大きな課題に違いありませんが、最も本質的な課題は他にあるようにも思えます。 ひとつの学問、ひとつの授業においてさえ、時として学生の得手不得手がはっきりと現れてしまう教育の現場において、座学とスポーツは離れすぎているのかもしれないと思うことがあります。また一方、座学に挑戦する心を失った運動神経抜群の学生もいる。もしどちらか一方のみの担当であれば安心して見ていられた学生であっても、もう一方をも担当することにより、心を配る必要があったことは、当初私にとって大きな負担であったように感じます。

 しかし、そうした二つの領域に関わる立場、どの学生にも見られる長所と短所に気付くことができる立場だからこそ、できることがありました。「安全な空間」を基本にした授業環境の創造においても、誰しもが何らかの挫折の途中に生きていることを強く感じています。時に辛く、苦しい失敗の経験が避けがたいものであるのなら、どのようにその失敗から得た効能のみを活かすことができるのか。まったく異なる二つの授業は、今日私にとって多くのことを問いかけ、教えてくれるかけがえのないものとなっています。

 成功体験はもちろん、その影に隠れがちな多くの失敗を新たに価値付け、自他の成長の糧とすること。言葉で言えばこんなに簡単なことも、生きる力として実際に養うことは困難なことです。しかし、そのようにして自己効力感を少しずつ積み上げてゆく実践的な場を作ることこそが、多様な学生の成長にとって最も基礎的なものであると強く思います。地道に小さな失敗と失望の芽に目を向けること。そして多くを教えてくれる失敗の優しさを最大限活かすこと、それこそが学生のサポートの本質だと日々感じながら、私は学生と接しています。