開学30周年記念誌

ないというジレンマに陥り、40代の働き盛りに会社を 飛び出して独立しました。それから約10年後、本学経 営学部の情報マネジメント学科が開設されるにあたり教 員の公募があり、当時の大坪学長とお会いして先生の人 柄と熱意に惹かれてこちらに参りました。 堀川 私も大坪先生にスカウトされました(笑)。静岡県 庁に勤務していた頃、県の総合計画の委員会に大坪先生 もいらして、私が退職する2、3年前からずっと本学に 来てほしいと誘われていたのです。熟考した上で、将来 の静岡県を担っていく若者たちを教育することに少しで も貢献できればと思い、2011年に情報学部の特任教授 として赴任しました。 三枝 この30年を振り返ると、本学が1994年に開学 したその翌年にWindows95が登場し、わずか4日間で 400万台も売れたんです。これを機に日本にもインター ネットが大衆まで一気に広まりました。それまではイン ターネットに関しては研究者や特定の分野の人しか知ら なかったはずです。それがこの30年でインターネット が当たり前の世の中になり、子どもから年配者までスマ ホを駆使するようになりました。インターネットがある からこそグローバル経済とかグローバル経営という言葉 が一般的に使われていますが、なかったらその2つもあ り得ないわけです。昔は大学のPRをしようと思ったら 紙の印刷物しかありませんでした。個人商店ならチラシ を配るとかDMを郵送するとか新聞に広告を載せるしか 情報発信の手段はなかった。現在は個人で瞬時にしかも 全世界に向けて無料で発信できる時代です。そんなイン ターネットの普及と本学の歴史がほぼ重なっているのは 非常に興味深いですね。 大坪 ジュビロ磐田の歴史とも重なっていますね。 三枝 そうなんです。1993年にJリーグが発足し、翌 1994年にジュビロ磐田がJリーグ昇格を果たしました。 もしジュビロが存在しなかったら磐田という地名が今ほ ど全国に知られることもなかったでしょう。ジュビロが 活躍するにつれて磐田駅周辺も開発され、街に活気が出 てきました。インターネットの普及とジュビロ磐田のJ リーグ昇格とほぼ同時期に本学がスタートし、この30 年間一緒に発展してきたと言えますね。 新時代を生き抜く力を養う「実学教育」と「大化け教育」で、 地方にあって小粒でも、キラリと光る個性ある存在を目指す ■ 大坪 檀(おおつぼ・まゆみ) 1929年 東京都出身 1953年 東京大学経済学部卒業 1957年 カリフォルニア大学ロサンゼルス校経営大学院修了。MBA学位取得 1958年 ブリヂストンタイヤ株式会社入社、経営情報部長、宣伝部長 米国ブリヂストンタイヤ経営責任者 1987年 静岡県立大学経営情報学部教授 1996年 静岡県立大学経営情報学部学部長 1998年 静岡産業大学国際情報学部教授。静岡県立大学名誉教授 2000年 静岡産業大学2代目学長 2012年 静岡産業大学総合研究所所長。新静岡学園理事長 2016年 新静岡学園学園長 三枝 最初は経営学部経営環境学科の1学部1学科から スタートしました。国際環境、地域環境、社会環境の3 分野を同時に学ぶ座学中心の授業でした。開学初年度は、 1年生しかいませんから静かで寂しかったですね。夕方 授業が終わるとみんな帰って、人っ子一人いなくなりま した。電気もほとんどついていなくて暗かったですよ。 普通の大学は授業がない土、日でも登校して友達と楽し く過ごしますよね。授業が終わったらさっさと帰るなん て予備校と同じです。どうにかしてキャンパスに賑わい を持たせようと画策したのを覚えています。 鷲崎 その最初の一歩として始めたのが「キッズスクー ル」だったのですね。 三枝 そうです。幼児に身体を動かす楽しさを知っても らおうと、既にサッカー部が近隣の子どもたちを集めて ■開学した当初や、赴任されたときのキャンパスは どんな雰囲気でしたか?

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