開学30周年記念誌

める直前に情報学部の志願者が3割も減ったんですね。 するとその年の秋に突然学長をやってもらえないかと打 診されました。私にとっては青天の霹靂です。一週間考 えさせてくださいと回答し、散々迷った挙句、翌年から 4代目の学長に就任しました。志願者が減った原因を分 析してみると、静岡県の18歳人口が2000年代の初め 頃までは3万7,000人いたのですが、2014年になると 2,000人減少していたんです。2030年には31,000人に なります。県内だけで30年で 6,000人も減ることになり ます。そのうちの大学進学希望者が半分だと仮定すると 3,000人。今から6年後、県内で3,000人の大学受験生 が減るのです。そんな危機的な状況を迎えたときに学長 を命じられたんですね。これは何とかしないといけない と思ったところに「事件」が立て続けに起こりました。一 つ目は、2016年4月に常葉大学が静岡市の一等地に新 校舎を作って組織統合するというニュースが飛び込んで きたことです。これは脅威でしたよ。二つ目は、前学長 の三枝先生が磐田キャンパスに開設したスポーツ経営学 科が人気を集めていたのですが、法令改正により、現在 認定を受けている教職課程については、再課程認定を受 ける必要があると文部科学省から通達されたことです。 これまでスポーツ経営学科では保健体育の教員免許が取 得できたのですが、再課程認定においては、体育、スポー ツ系の学科以外での保健体育の教職課程設置は原則とし て認めないということでした。新学長に就任した矢先に 志願者が大幅に減る、常葉大学が好立地に進出してくる、 保健体育の教員免許取得ができなくなるというトリプル パンチをくらってしまったのです。この3つの課題をク リアすることが私の使命だったので、教授会で何度も議 論を重ねました。 大坪 よく覚えていますよ。毎日喧々諤々、いろいろな 意見交換をしましたね。この際、大学名を変えてもいい んじゃないかという意見さえ出ました。そのぐらい、教 員全員が危機意識を持っていました。 鷲崎 そうですね。保健体育の教職課程設置が認められ るような、専門性を持つ学部学科を設置しなければなら ないので、スポーツ専門の学部を設置する準備を始めま した。情報学部の志願者減については、当時県内に情報 学部を有する大学が3 〜 4校あり、専門学校もあったの で、レッドオーシャンを避けようと断腸の思いで情報学 部を廃止することに決めました。2021年に現在の経営 学部とスポーツ科学部の2学部体制が確立され、スポー ツ科学部内に保健体育の教職課程も開設し、4年がかり で文部科学省から認めていただきました。 の美術館には、私が目をつけていた浦田周 かねたか 社さんにお願 いして作品の版画を寄付していただき、展示しています。 図書館の中に美術館があるのがポイントで、こんな場所 は全国でも珍しいと思います。私は絵画に囲まれた空間 で本を読んだり、考えたり、寝転んだりする時間が最高 の幸せだと思っています。ここで授業もやりましたよ。 また、学生たちに教養を身につけてほしいと、茶室を設 けましたし、俳句コンテストも開催しました。教養があ る人は人間的に高く評価され、信頼されます。たくさん 本を読み、音楽や美術に触れ、教養を身につけてほしい ですね。 三枝 冠講座をはじめ、大坪先生の時代に始めたこと が今の本学の礎になっていますね。ところで、私が学長 になった年に経営学部に心理経営学科を新設したのです が、そこに至るまでが大変でした。経営を勉強するには 心理学を学ぶ必要があるのですが、文部科学省にいくら 説明してもなかなか理解してもらえません。心理学は文 学部や教育学部で学ぶものだと行政は認識していますか ら。「売り手と買い手の駆け引き、消費者心理、上司と 部下の人間関係、リーダーシップやインセンティブやモ チベーションなど、経営には人間心理が深く関わってい るんです」と説得してようやく認めてもらいました。 鷲崎 私は2015年度末で退職するつもりだったんで す。学生も毎年順調に集まっていましたし、入学志願者 が多すぎて困っていたぐらいでした。ところが、私が辞 ■ 堀川 知廣(ほりかわ・ともひろ) 1950年 静岡県出身 1974年 名古屋大学農学部卒業。農学士 静岡県庁入庁、農業・産業行政担当 2010年 静岡県経済産業部長 2011年 静岡産業大学情報学部特任教授 2012年 静岡産業大学情報学部教授 2016年 静岡産業大学情報学部学部長 2017年 静岡産業大学副学長 2022年 静岡産業大学5代目学長

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