開学30周年記念誌

3 進む印象を持つ「矢印(→)」と“キラリと光る”が感じられる球体をモチーフとしたデ ザインです。矢印を簡略化した「>」のモチーフを使い「3」を表現しています。ロゴ はその組織の想いや理念などを可視化するものであるため、本学が学内外に発信して いる情報の中から「県民大学宣言」を選び、想いを可視化しました。 開学記念行事のシンボル、コミュニケーション ツールの一つとして、武田有華さん(2023年 度卒業/制作当時4年)により、ロゴマークが 作成されました。 ・大学ホームページ…トップページのインデックス表示、 開学30周年記念特設サイトの開設 ・ロゴ入り「のぼり旗」「横断幕」「ポスター」の作成 ・記念動画「そして未来へ(学生編・学長編)」の制作・放映 ・「開学記念オリジナルグッズ(オリジナルデザインのハンドタオル・本学 デザイン付きせんべい)」の製作・配布 ・『静岡産業大学開学30周年記念誌』の作成・発行 ●5/5(日) なでしこ1部リーグ「静岡産業大学マッチデー」 ●6/15(土) ㈱ジュビロとのパートナーシップ 「連携協定締結お披露目式」 ●6/22(土 ) J1リーグ「静岡産業大学開学30周年記念マッチ」 ● 2024年10/1(火)~2025年3/31(月) 浦田周 かねたか 社木版画美術館 静岡産業大学開学30周年記念企画展 「明日へつづく輝ひかり」 ● 11/2(土)・3(日) 「鳳翔祭」(藤枝)における記念事業 ●11/3(日) 「蒼樹祭」(磐田)における記念事業 ●11/21(木) 開学30周年記念シンポジウム in BiViキャン 「地域の未来を創る~持続可能な地域活性化戦略」 (藤枝市との共催) ●11/23(土) インドネシアにおける「海外同窓会」(ジャカルタ市) ●12/21(土) 中国における「海外同窓会」(福建省福州市) ●12/22(日) 「静岡産業大学ダンスの夕べ2024 ~ダンスダンスダンス」 (磐田市民文化会館) ●2/14(金) 「記念式典」「記念トークショー「」記念祝賀会」 (「GREENITY IWATA」) 武田 有華さん(2023年度卒業/制作当時4年) ロゴデザイン 開学30周年記念ロゴマーク 「開学30周年記念」への取り組み 主なイベント 目次・開学30周年記念事業 いざ、開学 歴代学長座談会 「4人の学長が語る静岡産業大学の30年」 祝辞 寄稿 「開学30周年に寄せて」 <30周年特別企画 > TOPIC 1 経営学部鼎談 TOPIC 2 スポーツ科学部対談 TOPIC 3 教職課程 TOPIC 4 冠講座 TOPIC 5 国際交流 TOPIC 6 産大とスポーツ TOPIC 7 私たちも30周年! 卒業生からのメッセージ 写真で綴る30年のあゆみ 理念とミッション、県民大学宣言 表紙の版画/浦田周かねたか社作「学園の春」 背景に磐田と藤枝それぞれの校舎が 描かれている。 2024年 2025年

●1991年9月5日「準備室だより」より 8月中旬に大学用地買収交渉をすべて完了した。農地を市街化区域に変 更する「線引き見直し」のための都市計画審議会の審査は磐田市、静岡県、 ともに8月中に終了した。 ●1991年11月15日「準備室だより」より 磐田商工会議所が中心となって行っていた校舎建設のための受配者指定 寄付金(磐田市等の企業からの寄付金)は2億1千万円余となり、日本私学 振興財団への送金が完了した。設置申請の段階には当該寄付金が財団から 当法人へ配付されることになる。 ※大学設置に際しては、最終的に以下の寄付金を受け入れ、設置財源の一部に充当した。 受配者指定寄付金 2億2千57万円、一般寄付金(PTA、同窓会含む)6千981万円。 ●1992年3月18日「準備室だより」より 大学の名称について検討を重ね、3月14日、最終的に「静岡産業大学」と 決定。これまで「(仮称)磐田静岡学園大学」の名称で文部省等に書類を届出 していたが、すべて「(仮称)静岡産業大学」に統一した。 ●1992年5月6日「準備室だより」より 4月30日午後、第一次申請が文部省で行われ、深夜遅くに正式受理。受 理にあたっての文部省からの条件は、社会人学生40名、外国人留学生10名、 帰国子女5名の受け入れ、社会人入学受け入れのため「昼夜開講制」の採用 であり、学園側としては「授業は月~金を7限、土は4限まで行う昼夜開講 制」に踏み切る。 磐田市議会では3月23日の本会議で、当学園関係の議決をすべて終了。 議決内容は、「土地については現在行われている荒造成が終了次第、当学園 に譲渡(一部貸与)し、そのための登記手続きをとる、資金関係については 当学園に対する補助金を平成4年度から3か年に分けて債務負担行為とし て計 14 億5千万円を支出する。」というものであった。 〇1992年5月1日 文部省に第一次設置申請 磐田市と公私協力 「…同大設置に向けては、市と学園側が平成元年1月に 公私協力方式によ る大学設置に合意、平成3年7月の第一次認可申請に向けて準備を進めたが 用地買収などで手間取り提出を断念、計画が一年間遅れた経緯がある。…」 〇1992年7月11日 学長に守永誠治氏 近く文部省に申請 〇1992年12月16日 大学設置審一次通過 6年開学へ大きく前進 来月、磐田に着工 〇1993年1月13日 静岡産業大学が起工 来春開学目指し市長らが安全祈願 ●1992年2月19日「準備室だより」より 2月15日、磐田グランドホテルにてパネルディスカッション「大学が果た す地域への役割」を開催した。 ●1993年1月20日「準備室だより」より 1月8日、正月早々から文部省の呼び出しにより高等教育局長名の通知伝 授。12月15日に行われた大学設置・学校法人審議会で、第一次審査を通過 した旨の言い渡しが行われた。 1月12日、磐田市大原の大学建設用地で建設起工式が執り行われた。 ●1992年6月25日「準備室だより」より 6月1日付けで大学用地の所有権が、磐田市から学園へ移譲された。 静岡新聞の見出しと掲載記事より(参照) 静岡新聞の見出しより(参照) 磐田校舎鳥瞰図 看板写真 (1992年7月) [磐田市提供] 看板写真 (1992年7月) [磐田市提供]

〇1993年7月2日 静岡産業大、12月に認可の見通し ●1993年8月10日「事務局だより」より 7月30日、法人本部において大学職員採用試験を実施した。 ●1993年12月21日「事務局だより」より 12月14日、文部省で大学設置・学校法人審議会が開催され、同日、本学 にも「12月21日午後1時半、文部省の正式認可書を交付するので来省され たし」との電話通知があった。 ●1994年3月14日「事務局だより」より 入試第2ラウンド 2月17日実施の「一般一次・夜間主一次」 一般一次[募集定員] 50名[出願者]1,229名(24.6倍)[受験者数]1,060名 [合格者数]178名[入学手続完了者]127名(うち女子18名) 夜間主一次[募集定員]30名[出願者]141名(4.7倍)[受験者数]135名 [合格者数]54名[入学手続完了者]54名(うち女子4名) ●1994年2月15日「準備室だより」より 入試第1ラウンド 1月27日実施の「推薦・外国人留学生一次・帰国生徒」 推薦 [募集定員]55名[出願者]473名(8.6倍)[受験者数]465名 [合格者数]134名[入学手続完了者]117名(うち女子 23名) 外国人留学生 [募集定員] 5名[出願者]73名(14.6倍)[受験者数]70名 一次 [合格者数]14名[入学手続完了者]1名(締切 3月25日) 帰国生徒 [募集定員] 5名[出願者]2名(0.4倍) [受験者数]2名 [合格者数] 1名[入学手続完了者]0名(3月31日の二次試験で再募集予定) 〇1994年1月27日 磐田市に4月開校 初の入試 推薦、留学生が挑戦 〇1994年2月3日 初の合格者149人 県内出身者が75%占める 〇1994年3月29日 4月開学 きょう校舎完工式 磐田市 〇1994年3月30日 校舎完成を祝う 経営環境学科は全国初 磐田市 〇1994年4月14日 明日開学 図書館に1万7600冊 〇1994年4月15日 開校式 1期生331人晴れやかに 〇1993年12月15日 来年4月開校 来月から学生募集 ●1994年5月26日「事務局だより」より 新入学生の状況 入学生総数 331名(女子54名) うち 昼間主269名、夜間主62名 留学生は全員昼間主 14名(中国12名、韓国1名、台湾1名) 静岡新聞の見出しより(参照) 静岡新聞の見出しより(参照) 静岡新聞の見出しより(参照) 静岡新聞の見出しより(参照) 1993年12月15日 中日新聞 [中日新聞社提供] 1993年12月15日 静岡新聞 [静岡新聞社提供] 「広報いわた」 (1993年2月1日号)より [磐田市提供]

歴代学長座談会 「4人の学長が語る静岡産業大学の30年」 元学長 大坪 檀 元学長 三枝 幸文 元学長 鷲崎 早雄 学長 堀川 知廣 2000-2011 2012-2015 2016-2021 202230周年記念企画 大坪 ブリヂストンに30年近く勤めた後、学界に転身 した私は、静岡県立大学の教授をしていました。これか らの地方大学はどうあるべきか、改革したいと思ってい た頃、ヨーロッパの大学と東京の私立大学からオファー があり、どちらに行くか決めかねていたんです。そんな 時、当時短期大学だった静岡産業大学を4年制にするの に文部省(現:文部科学省)の審査が厳しいので力を貸し てほしいと、静岡県立大学の高木桂蔵先生に頼まれまし てね。先生が本学の経営者と親しかったんです。ヨーロッ パは寒いし、東京は人が多いし、富士山と静岡県民の人 柄が好きなので、面接を受けることにしました。その後、 学長に就任したときに、「新しい組織とルール、戦略に 基づいて運営する大学」に改革することにしました。 三枝 私はちょうど30年前、自分の指導教授だった守 永誠治先生が本学の初代学長に就任することが決まった ときに誘っていただきました。それまで静岡県のことは 全く知りませんでした。本学が開学したときから在籍し ていますが、大坪先生が2000年から学長を務められた 12年間のうち10年間、経営学部長として一緒に大学運 営に携わり、教鞭も執りました。 鷲崎 私は大手鉄鋼会社でコンピュータの技術者として 働いていたのですが、大型装置に向き合うその会社では コンピュータのダウンサイジングに伴う新技術に関われ ■先生方は産業界、行政、民間企業から本学に来ら れましたが、その経緯について教えてください。

ないというジレンマに陥り、40代の働き盛りに会社を 飛び出して独立しました。それから約10年後、本学経 営学部の情報マネジメント学科が開設されるにあたり教 員の公募があり、当時の大坪学長とお会いして先生の人 柄と熱意に惹かれてこちらに参りました。 堀川 私も大坪先生にスカウトされました(笑)。静岡県 庁に勤務していた頃、県の総合計画の委員会に大坪先生 もいらして、私が退職する2、3年前からずっと本学に 来てほしいと誘われていたのです。熟考した上で、将来 の静岡県を担っていく若者たちを教育することに少しで も貢献できればと思い、2011年に情報学部の特任教授 として赴任しました。 三枝 この30年を振り返ると、本学が1994年に開学 したその翌年にWindows95が登場し、わずか4日間で 400万台も売れたんです。これを機に日本にもインター ネットが大衆まで一気に広まりました。それまではイン ターネットに関しては研究者や特定の分野の人しか知ら なかったはずです。それがこの30年でインターネット が当たり前の世の中になり、子どもから年配者までスマ ホを駆使するようになりました。インターネットがある からこそグローバル経済とかグローバル経営という言葉 が一般的に使われていますが、なかったらその2つもあ り得ないわけです。昔は大学のPRをしようと思ったら 紙の印刷物しかありませんでした。個人商店ならチラシ を配るとかDMを郵送するとか新聞に広告を載せるしか 情報発信の手段はなかった。現在は個人で瞬時にしかも 全世界に向けて無料で発信できる時代です。そんなイン ターネットの普及と本学の歴史がほぼ重なっているのは 非常に興味深いですね。 大坪 ジュビロ磐田の歴史とも重なっていますね。 三枝 そうなんです。1993年にJリーグが発足し、翌 1994年にジュビロ磐田がJリーグ昇格を果たしました。 もしジュビロが存在しなかったら磐田という地名が今ほ ど全国に知られることもなかったでしょう。ジュビロが 活躍するにつれて磐田駅周辺も開発され、街に活気が出 てきました。インターネットの普及とジュビロ磐田のJ リーグ昇格とほぼ同時期に本学がスタートし、この30 年間一緒に発展してきたと言えますね。 新時代を生き抜く力を養う「実学教育」と「大化け教育」で、 地方にあって小粒でも、キラリと光る個性ある存在を目指す ■ 大坪 檀(おおつぼ・まゆみ) 1929年 東京都出身 1953年 東京大学経済学部卒業 1957年 カリフォルニア大学ロサンゼルス校経営大学院修了。MBA学位取得 1958年 ブリヂストンタイヤ株式会社入社、経営情報部長、宣伝部長 米国ブリヂストンタイヤ経営責任者 1987年 静岡県立大学経営情報学部教授 1996年 静岡県立大学経営情報学部学部長 1998年 静岡産業大学国際情報学部教授。静岡県立大学名誉教授 2000年 静岡産業大学2代目学長 2012年 静岡産業大学総合研究所所長。新静岡学園理事長 2016年 新静岡学園学園長 三枝 最初は経営学部経営環境学科の1学部1学科から スタートしました。国際環境、地域環境、社会環境の3 分野を同時に学ぶ座学中心の授業でした。開学初年度は、 1年生しかいませんから静かで寂しかったですね。夕方 授業が終わるとみんな帰って、人っ子一人いなくなりま した。電気もほとんどついていなくて暗かったですよ。 普通の大学は授業がない土、日でも登校して友達と楽し く過ごしますよね。授業が終わったらさっさと帰るなん て予備校と同じです。どうにかしてキャンパスに賑わい を持たせようと画策したのを覚えています。 鷲崎 その最初の一歩として始めたのが「キッズスクー ル」だったのですね。 三枝 そうです。幼児に身体を動かす楽しさを知っても らおうと、既にサッカー部が近隣の子どもたちを集めて ■開学した当初や、赴任されたときのキャンパスは どんな雰囲気でしたか?

おじさんになっていますが(笑)。 堀川 鷲崎先生のフレンドリーなお人柄がうかがえます。 鷲崎 私の教員としてのモットーは、スポーツ推薦で 入ってきた学生でも、勉強ができない学生でも同じ人間 としてリスペクトし、どうしたら彼らが勉強に興味を持 つようになるかを考え、寄り添うことです。堀川先生の スタートはいかがでしたか? 堀川 専任教授になってからは前期、後期で12科目受 け持ったのですが、私は教員経験がなかったので大変 でした。周りを見る余裕もなくて、最初の2年間は自分 の勉強をすることで精一杯でした。1年目、ゼミに入り たくないというやる気のない学生たちを指導してほしい と事務局から頼まれました。どうやって興味を持たせよ うかと考えた末に、自分の気になる新聞記事を切り抜い て、自分の言葉で解説してみなさいという課題を出した んです。最初は「いったい何なんだ、この先生は?」と 思われていたかもしれません。でも、3か月経ったくら いから新聞を読むのが面白くなったようで授業も活発に なり、みんなが結束してくれるようになりましたね。 大坪 12年間いろいろなことに着手しましたが、特に 力を入れたのは2001年に始めて現在も継続している 「冠講座」ですね。静岡県に必要な人材を大学と地域が 一緒になって育てようという精神のもと、地元企業や行 政から人材と最新のビジネス情報を無報酬で提供しても らいました。寄付講座として、おそらく日本の大学で初 めての試みだと思います。企業、自治体、団体の講座の 中から興味のあるものを選んで、リアルな仕事内容や課 題、最先端の取り組み事例など、現場にいる人だからこ そ語れる貴重な話を聴くことができます。形だけではな くて、全15回2単位の正規講座としてきっちり授業を してもらいます。この講座がきっかけでやりたい仕事を 見つけ、講座提供の企業に就職した学生も多いですよ。 これまでに、ブリヂストン、スズキ、ヤマハ発動機、ジュ ビロ磐田、浜松ホトニクス、静岡銀行、電通東日本、中 部電力など、ビジネスの第一線で活躍する方々から最先 端の実践的な講座を提供してもらいました。 三枝 大坪先生の人脈とはいえ、錚々たる顔ぶれですね。 他にも静岡県、磐田市、藤枝市、藤枝商工会議所、浜松 磐田信用金庫、TOKAIなど、静岡県と関係の深い企業、 団体、行政機関が講座を提供してくれました。これほど 恵まれた寄付講座を毎年開講している大学は全国でも類 ■学長時代はどんなことに力を注がれましたか? サッカースクールを開催していました。それが好評だっ たので、サッカーだけでなく、体操、トランポリン、柔 道についてもキッズスクールをやろうということになり ました。その後、徐々にレベルや年齢層も上がってきて、 現在の「スポーツスクール」につながっています。 大坪 スポーツスクールは、本学のクラブコーチが発達 段階に応じて技術を教え、技能・指導能力に優れた学生 がサポートします。学生にとっては授業で学んだ子ども 教育の知識を現場で実践できるだけでなく、スクール経 営を学ぶ機会にもなっています。 鷲崎 まさに本学が提唱する「実学教育」ですね。私が磐 田キャンパスの経営学部に赴任したときは、夜間の授業 を持たされました。サッカー部のやんちゃな学生が多く て、教室に入ってもワイワイ騒いで完全に無視されまし たよ。誰も私を見ようともしない。そのときに決意した んです。よし、彼らを黙らせてこっちを見たくなるよう な授業をしようと。それが私の教員生活のスタートでし た。そのために彼らと徹底的に仲良くなろうと試みまし た。一方的に私が話すのではなく、学生と同じ目線で一 緒に学ぶスタンスで授業をしたり、サッカーの試合も観 に行ったりしました。厳しく指導する先生もいましたが、 私にはできませんでした。だから学生からは鷲崎先生で はなく「わっしー」と呼ばれていましたよ。彼らとは今で もフェイスブックでつながっています。もうみんないい ■ 三枝 幸文(さえぐさ・ゆきふみ) 1945年 東京都出身 1972年 慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学修士 1994年 静岡産業大学経営学部助教授 1998年 静岡産業大学経営学部教授 2002年 静岡産業大学経営学部学部長 2011年 静岡産業大学副学長 2012年 静岡産業大学3代目学長 2016年 新静岡学園理事長 2024年 新静岡学園経営顧問

場が2つもある大学は他にないですよ。スポーツは忍耐 力、集中力、判断力が必要で協調性やリーダーシップも 求められます。これはまさに経営と同じなんですね。ス ポーツでやってはいけないことは経営でもやってはいけ ないし、スポーツで学んだことは経営に役立つんです。 三枝 企業の健康経営やメンタルヘルスケアが浸透しつ つあるなか、打たれ強い若者を育てる上でもスポーツは 大切です。上司にちょっと叱責されただけで落ち込んだ り、挫折したりしてはいけませんから。勉強は一人で黙々 とやればある程度結果がついてきます。しかし、スポー ツは相手がいる。ということは負ける可能性があるとい うことです。負ける経験をすることも人生には必要なん です。なぜ負けたのかを反省し、分析し、それを次にど う活かすのか戦略を練ることが大事で、経営も全く同じ ことが言えますね。 大坪 おっしゃる通りです。ところで、藤枝キャンパス を見ないのではないでしょうか。 大坪 そうだと思います。大学は社会や地域に貢献でき る人材を育成する「公器」のはずです。しかし、今の日本 の大学はそれができていない。だから私はそれを実現す る新しい大学のモデル、つまり人づくりを通じて地元の 産業に貢献する地域密着型の大学にしたいと改革に着手 したのです。大学も企業も人がやらないこと、気がつい ていないことをしなければこれからの時代は生き残れま せん。「静岡県を良くするための人材育成を手伝ってく ださい」とお願いしたら、みなさん二つ返事で賛同して くださいました。静岡銀行の頭取が直々に講師を務めた 銀行論から始まったんですよ。 堀川 どんな理論よりも勉強になりますね。経営者だけ でなく、若い社員が来てくれることもあり、年齢が近い と学生たちも5年後、10年後の自分の姿をイメージしや すいので、より興味を持ってくれます。 大坪 そうですね。学生はただ講義を聴くだけでなく、 講師のアシスタントもします。たとえば、ジュビロ磐田 の講座はプロスポーツのリアルな経営・運営・チームづ くりを学んだ上で、ホームのヤマハスタジアムでの来場 者向けイベントの企画・運営に学生主体で参加します。 講師をしていただいた企業の方にも教育現場を知っても らう絶好の機会となります。冠講座を通して地域と大学 の相互理解が深まったと感じますね。ほかにも、本学は 「県民大学宣言」「大化け教育」で経営改革と地域貢献を 実現していることを高く評価され、日本経営士会が主催 する「ビジネス・イノベーション・アワード 2011」にお いて、大学としては初めて大賞を受賞しました。さらに、 大学が有する知識、情報、技術を県民に提供する「総合 研究所」をオープンしたり、教員陣の教育法を磨くため の「ティーチングメソッド研究会」を開催したり、客員教授 だった作曲家の小林亜星氏にキャンパスソングを作って もらったりしました。 大坪 ええ。磐田キャンパスの存在も大きかったですね。 磐田の産業界と本学は密接な関係にあります。ジュビロ 磐田とのつながりも深い。ちょうど磐田市がスポーツの まちづくりを発信し始めたこともあって、「スポーツマン をビジネスマンにしよう」というスローガンのもと、ス ポーツ経営学科をつくりました。体育館が3つ、サッカー ■ 鷲崎 早雄(わしざき・はやお) 1945年 東京都出身 1968年 東京大学工学部卒業 富士製鐡株式會社(現日本製鉄株式会社)入社 1989年 ビジネス・システムコンサルティング会社設立 2001年 東京大学 博士(学術) 2002年 静岡産業大学経営学部教授 2016年 静岡産業大学4代目学長 2022年 静岡産業大学名誉教授。静岡産業大学総合研究所顧問 ■大坪先生の学長時代は、スポーツ経営学科を開 設し、理事長時代には、藤枝キャンパスの図書館 内に浦田周かねたか社美術館もつくりましたね。

める直前に情報学部の志願者が3割も減ったんですね。 するとその年の秋に突然学長をやってもらえないかと打 診されました。私にとっては青天の霹靂です。一週間考 えさせてくださいと回答し、散々迷った挙句、翌年から 4代目の学長に就任しました。志願者が減った原因を分 析してみると、静岡県の18歳人口が2000年代の初め 頃までは3万7,000人いたのですが、2014年になると 2,000人減少していたんです。2030年には31,000人に なります。県内だけで30年で 6,000人も減ることになり ます。そのうちの大学進学希望者が半分だと仮定すると 3,000人。今から6年後、県内で3,000人の大学受験生 が減るのです。そんな危機的な状況を迎えたときに学長 を命じられたんですね。これは何とかしないといけない と思ったところに「事件」が立て続けに起こりました。一 つ目は、2016年4月に常葉大学が静岡市の一等地に新 校舎を作って組織統合するというニュースが飛び込んで きたことです。これは脅威でしたよ。二つ目は、前学長 の三枝先生が磐田キャンパスに開設したスポーツ経営学 科が人気を集めていたのですが、法令改正により、現在 認定を受けている教職課程については、再課程認定を受 ける必要があると文部科学省から通達されたことです。 これまでスポーツ経営学科では保健体育の教員免許が取 得できたのですが、再課程認定においては、体育、スポー ツ系の学科以外での保健体育の教職課程設置は原則とし て認めないということでした。新学長に就任した矢先に 志願者が大幅に減る、常葉大学が好立地に進出してくる、 保健体育の教員免許取得ができなくなるというトリプル パンチをくらってしまったのです。この3つの課題をク リアすることが私の使命だったので、教授会で何度も議 論を重ねました。 大坪 よく覚えていますよ。毎日喧々諤々、いろいろな 意見交換をしましたね。この際、大学名を変えてもいい んじゃないかという意見さえ出ました。そのぐらい、教 員全員が危機意識を持っていました。 鷲崎 そうですね。保健体育の教職課程設置が認められ るような、専門性を持つ学部学科を設置しなければなら ないので、スポーツ専門の学部を設置する準備を始めま した。情報学部の志願者減については、当時県内に情報 学部を有する大学が3 〜 4校あり、専門学校もあったの で、レッドオーシャンを避けようと断腸の思いで情報学 部を廃止することに決めました。2021年に現在の経営 学部とスポーツ科学部の2学部体制が確立され、スポー ツ科学部内に保健体育の教職課程も開設し、4年がかり で文部科学省から認めていただきました。 の美術館には、私が目をつけていた浦田周 かねたか 社さんにお願 いして作品の版画を寄付していただき、展示しています。 図書館の中に美術館があるのがポイントで、こんな場所 は全国でも珍しいと思います。私は絵画に囲まれた空間 で本を読んだり、考えたり、寝転んだりする時間が最高 の幸せだと思っています。ここで授業もやりましたよ。 また、学生たちに教養を身につけてほしいと、茶室を設 けましたし、俳句コンテストも開催しました。教養があ る人は人間的に高く評価され、信頼されます。たくさん 本を読み、音楽や美術に触れ、教養を身につけてほしい ですね。 三枝 冠講座をはじめ、大坪先生の時代に始めたこと が今の本学の礎になっていますね。ところで、私が学長 になった年に経営学部に心理経営学科を新設したのです が、そこに至るまでが大変でした。経営を勉強するには 心理学を学ぶ必要があるのですが、文部科学省にいくら 説明してもなかなか理解してもらえません。心理学は文 学部や教育学部で学ぶものだと行政は認識していますか ら。「売り手と買い手の駆け引き、消費者心理、上司と 部下の人間関係、リーダーシップやインセンティブやモ チベーションなど、経営には人間心理が深く関わってい るんです」と説得してようやく認めてもらいました。 鷲崎 私は2015年度末で退職するつもりだったんで す。学生も毎年順調に集まっていましたし、入学志願者 が多すぎて困っていたぐらいでした。ところが、私が辞 ■ 堀川 知廣(ほりかわ・ともひろ) 1950年 静岡県出身 1974年 名古屋大学農学部卒業。農学士 静岡県庁入庁、農業・産業行政担当 2010年 静岡県経済産業部長 2011年 静岡産業大学情報学部特任教授 2012年 静岡産業大学情報学部教授 2016年 静岡産業大学情報学部学部長 2017年 静岡産業大学副学長 2022年 静岡産業大学5代目学長

11 今、静岡県で進学を希望する高校3年生が15,000人位 います。それが年々数百人単位で減っていて、地方の小 規模大学はどこも苦戦しているのが現状です。静岡県に は約20の大学がありますが、募集定員は8,000人しか なく、7,000人は東京や名古屋の大学に進学します。だ から県内の学生たちをしっかり受け止めることができれ ば定員を下回ることは本来ないはずなんですね。 大坪 マスコミは少子化が進んで大変だと不安を煽りま すが、少子化はチャンスですよ。子どもが少ないからこ そ手厚い教育ができるんです。教育費が高いと言います が、昔は一家に5人も6人も子どもがいました。今は1 人か2人でしょ。私はDXやAIを活かせば 6年かかる教 育が2年で済むようになると期待しています。それを本 学が世界に先駆けて実現できるといいですね。そう考え ると今ほど教員が能力を発揮できる時代はないとも言え ますよ。 三枝 なるほど。ただ、今の高校生に大学で何を学ぶ かを伝えようとしても、なかなか理解してもらえないで しょう。社会情勢について関心を持っているとか大学の 学びに興味があるという生徒なら別でしょうが。 堀川 そこが難しいんです。他の大学と同じようなこと をしても高校生の心をとらえることはできません。短い 言葉でわかりやすく伝えないとダメで、その1つが「実 学教育」です。昔の学生のようにすでにでき上がった学 問を文献から学ぶのではなく、今、現実に起きているこ と、これから起きるのではないかというテーマについて 実社会で働いている人から学ぶ。直接聞いて、現場に足 を運んで自分の目で見てみる。そんな実学教育を通じて、 今、社会で課題となっていることを自分で考え、解決策 に取り組むことの面白さを伝えたいですね。もう一つは 大坪先生の提唱から始まった「大化け教育」です。人は誰 でも優れたもの=可能性の種を持っています。その種が 堀川 2017年、2018年が募集の底でしたが、その後 少しずつ回復して、2020年、2021年は定員をかなり オーバーするほどの志願者が集まりましたね。 鷲崎 ええ。ところが、難題がやっと解決したと思った ら今度はコロナウィルスに見舞われました。歴代の学長 で私ほど環境の変化に翻弄された人はいないのではない でしょうか。学生・教職員の健康とキャンパスの安全を 保ちつつ授業を継続するのは大変でしたが、これを機に 教職員の気持ちが一つにまとまったのは嬉しかったです ね。オンライン授業に切り替えるといっても誰もやった ことがない。しかし、私が指示するまでもなく、みなさ んが自主的に勉強会を開いてサポートし合ったり、パソ コンに詳しくない人まで一緒にオンライン授業の準備を 手伝ったりしていましたね。 三枝 先手、先手で対策を講じたのがよかったですね。 鷲崎 そうですね。一例を挙げると、オンライン授業用 の準備金として学生全員に授業料の中から3万円を返還 しました。事務局のスタッフが迅速に作業をこなし、現 金書留で一斉に送付したんです。県内では本学と静岡福 祉大学が先陣を切り、それから他大学も追従してきまし た。おかげで、保護者からさらなる授業料返還を求める 声などもありませんでしたし、クレームどころか感謝のお 言葉をたくさんいただきました。コロナ禍の3年間、キャ ンパスに学生はほとんどいなくて、私はその時期に退職 することになりました。コロナが明け、学生が戻ってきて 賑やかに過ごしている光景を見たときは正直羨ましかっ たですね。 堀川 現学長の私が力を入れているのは学生募集です。 ■少子化で大学運営が厳しい今こそ教員が能力を 発揮するチャンス!

芽を出し花開く、すなわち「大化け」するにはスイッチが 入らなければなりません。何がきっかけでスイッチが入 るかは人それぞれ違うので、そのきっかけとなり得る場 を大学が数多く提供しようというのが「大化け教育」の真 意ですが、これを高校生に正確に伝えることができれば、 誰でも大化けするチャンスがあるということを理解して もらえると思うのですが。 大坪 そうですね。今の日本は偏差値教育で難関大学と か勝ち組とか序列を作っているから若者に負け犬根性が ついてしまっている。本田宗一郎も松下幸之助も大学を 出ていませんよ。できない子なんていないんです。みん なそれぞれ素晴らしい能力を持っているはずなのに、教 員や親ができないことだけを叱るから萎縮してしまう。 本学は正々堂々と「学ぶ学生の能力を偏差値に求めず、 偏差値では測定できない個々の学生の潜在能力を引き 出し、開発することを重視する」と宣言しています。人 の隠れた能力の点火スイッチを押すと人生が光り出しま す。それが「大化けスイッチ」です。学生を大化けさせる にはまず褒めること。褒めてやる気を起こさせる、動機 づけさせると自信がつき、眠っていた能力が活性化し、 素晴らしい成果を上げます。 堀川 私が学長になってから、就職塾、ビジネス塾、会 計塾、公務員塾など、人間形成のための塾を開講しまし た。放課後の部活と同じなので単位には加算されません。 それでも勉強したいという意欲のある学生が少しずつ増 えてきています。公務員塾で勉強した学生が県庁や市役 所に就職しましたが、そういう学生は一生懸命努力する ので一般企業の試験にもパスします。会計塾はここ数年 実績が良くて、在学中に税理士試験に合格し、2022年 3 月に卒業した学生がいたのですが、全国1,200人の合 格者の中で現役大学生は2名だけという快挙を成し遂げ ました。彼は、入学時は普通の学生でしたが、途中から スイッチが入って大化けしました。彼に続けとばかりに、 会計塾に入りたいという学生も増えました。来年はAI塾 も計画しています。パソコンは当たり前で、生成AIに 代表されるような新しいITをフルに使いこなせるように なって卒業しないと、社会人になってスタートダッシュ に遅れると思うのです。 大坪 静岡県をもっと良くするためにしっかり学んでほ しいですね。それが日本を良くすることにつながります から。誰にでも「大化け」するチャンスがあることを忘れ ずに、本学の恵まれた環境で学問とスポーツとサークル 活動を楽しんでください。 三枝 特定の狭い分野に凝り固まらないで、広い視野で 幅広い知識を得る喜びを知ってほしいと思います。深掘 りするだけが能ではない。引き出しをたくさん持ってお くべきです。人と話すのが苦手な人がいますが、それは 話し下手なのではなく、引き出しが少なすぎるだけです。 自分と縁のない分野の人を前にすると何を話していいの かわからない。幅広く物事を見たり聞いたりすれば、引 き出しが増えて誰とでも話せるようになります。引き出 しをたくさんつくることは、良好な人間関係を構築する 上でも役立ちます。 鷲崎 自分がこうと思ったことをやり遂げてほしいです ね。失敗を恐れず、自分の意思を貫いてほしい。これか らも若いみなさんが地元の企業、行政、団体とタッグを 組んで本学を盛り上げ、50年、100年続いてほしいと 期待しています。 堀川 社会に対して広く関心を持っていただきたい。大 学の4年間は自由に物事を考えて、世界中どこへでも行 ける時間があります。将来自分は何をしたいのか、何者 になりたいのか深く考えてほしい。そのためにも積極的 に海外に行って、今しかできない経験をしてほしいです ね。卒業後は静岡県内に就職して、その経験を仕事に活 かしてください。“東海に静岡産業大学あり”といわれる 小粒だがキラリと光る個性ある存在になる、それが本学 ■現在、本学に在学している学生にメッセージを お願いします。

てほしい。磐田キャンパスの周辺にはたくさんの中小企 業がありますが、どこも人材採用に苦労しています。募 集しても応募がほとんどないという状況が続き、本学に もたくさんの求人が来ているんです。地域に人が戻って こないのは日本全体の流れですが、そんな中で本学が果 たすべき役割は大きいと思います。私立大学は産業です から、運営・経営を潤滑に行うことが基本です。その上 で学長を筆頭に、教職員が学生募集をはじめ、目指すべ きことを本気で実践する。そんな強い組織力でブランド 価値を生むような大学になってもらいたいです。 堀川 大学名の通り、静岡の産業に役立つ人材を育てる のが本学です。しかし、静岡の高校生の約半数は県外の 大学に進学し、Uターンしません。静岡が豊かで暮らし やすい地域になっていくためには、若者たちに静岡で働 いてもらわないといけない。そのために社会人になった 人でもUターンして再び学びたい人がいれば、本学で学 べる仕組みを作りたいですね。そんな社会人教育が大事 だと思います。これだけ社会が目まぐるしく変化してい く中で、もう一度学び直したい、今までの経験を活かし つつスキルアップして、違う分野で働いてみたいという 人も多いはずです。せっかく教育の専門家集団がいるの ですから、リスキリングしたい人に本当の学びを提供で きる場になるべきだと思います。 大坪 そうですね。昔は就職するより勉強が好きな人が 大学院に進んでいました。でも、今の社会が必要として いる能力、知識、技術は大学を卒業した程度では心もと ない。もっと勉強しないとスピードについていけず、こ れからの世の中を作っていく人材になれないと思います。 従来の大学院や社会人教育とは違うリカレント教育の場 を提供するべきでしょう。開学して30年が経ち、本学 は全国に誇れる大学に成長したと実感しています。途中、 本法人自体が第3次創業という信念をもって「新静岡学 園」として生まれ変わりましたし、地域貢献というミッショ ンをさらに推し進めるために、これからも社会にもっと 多くのイノベーションを巻き起こしてもらいたいですね。 の原点であることを忘れずに、自分に誇りを持って人生 の道を切り拓いてほしいと思います。 大坪 本学は2006年に「県民大学宣言」をしたように、 静岡県民のためにある大学です。今後も県を良くするた めの人材を育てることを最優先し、一人でも多くの「大 化け」する学生を増やしてほしいですね。教える人も学 ぶ人もハッピーになって社会に貢献してほしい。そのた めには先生がもっと勉強しないとダメ。日本の多くの大学 は先生にハイジャックされています。自分の研究の片手 間に指導している先生が多すぎます。大学の先生は研究 者ではなく、教育者であるべきです。先生がちゃんと教 えないから学生の能力に差がつくんです。学生を大化け させるにはまず先生が変わらないといけないと思います。 三枝 本学の経営スタンスは大坪先生の時代から続いて いる「民間企業と変わらない」ということです。大学も時 代の変化に影響を受け、浮き沈みはあるし、最悪の場合 倒産もあり得ます。そんな危機感をもってこれまで経営 してきましたし、今後も変わることはないでしょう。経 営において大切なのは「スピード」です。教員も職員も自 分が経営者の立場になって考え、経営環境の変化に早く 気づいて、早く意思決定し、早く行動することが肝心で す。少子化の時代にあって、こちらが何も行動を起こさ なければ志願者がますます減っていくのは目に見えてい ます。何かをすれば必ずリスクを伴いますが、しないこ とのリスクもある。この30年間歩んできた中で培った 強みを伸ばすことも必要ではないかと思います。総合的 に伸ばすのではなくて、強みに特化して伸ばしても良い のではないかと。 鷲崎 同感です。地元企業や行政、団体と連携した「冠講座」 や「大化け教育」など、本学にしかできないことを磨くべ きです。それと、本学はもっと地域に貢献する大学であっ ■本学は30周年を迎えましたが、今後どのよう な方向に向かうべきだと思われますか? 1927年 東京都 出身 1955年 慶応義塾大学 大学院経済学研究科修士課程修了 1962年 公認会計士登録 1969年 青山学院大学 経営学部 教授 1979年 税務大学校兼任講師 1984年 自治大学校兼任講師 1987年 慶応義塾大学 商学部 教授 1992年 慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程後期講師 1994年 静岡産業大学学長、同教授(2000年3月まで) 学校法人第二静岡学園理事(2000年3月まで) 2000年 静岡産業大学 名誉学長 2023年 6月5日逝去 静岡産業大学の学長在任中に、藤枝市にあった静岡学園短期大学を改組し、国際情報学部を開設した。 静岡産業大学 初代学長 守永 誠治 (もりなが・せいじ)

静岡県知事 静岡県教育委員会教育長 静岡産業大学が開学30周年を迎えられましたことを、 心からお慶び申し上げます。 貴学は、1994年4月の開学以来、21世紀の産業社会 と国際社会の求める専門的職業教育の推進を理念に掲げ、 地域社会に貢献する有為な人材を輩出してこられました。 これもひとえに、関係の皆様方の熱意と御尽力の賜物で あり、深く敬意を表します。 県では、幸福度日本一の静岡県の実現に向け、今を生 きる人たち、そして、将来の世代に対する施策に取り組ん でおります。 貴学におかれましては、地域密着のシンクタンクとして、 地域と関係の深い企業や団体、行政機関と連携した地域 連携活動や課題解決型学習、健康産業に関連した人材育 成、社会人向けリカレント教育に取り組むなど、地域社会 に貢献する大学像を鮮明にされており、引き続き、本県の 施策を力強く支えていただけるものと期待しております。 結びに当たり、誇り高い伝統と歴史のある静岡産業大 学が、崇高な理念の下、今後ますます発展されますことを 心から祈念申し上げまして、お祝いの言葉といたします。 静岡産業大学の開学30周年を心よりお祝い申し上げま す。この記念すべき節目を迎え、これまで様々な形で学校 を支えてこられた皆様の努力と情熱に深く敬意を表します。 貴学は、地域社会に根ざした教育機関として多くの優 れた人材を輩出されてきました。産業界との連携や実学 教育を通じて、学生たちに社会で活躍する力を身につけ る場を提供し、地域経済の発展にも大いに寄与されてい ます。特に、地域のニーズに応じたカリキュラムや研究 活動は、学生たちが実社会で即戦力となるための重要な 基盤となっています。 また、開学以来、常に時代の変化に対応し、新しい教育 プログラムや研究活動を展開されています。DX化やグロー バル化が進む現代において、学生たちが必要なスキルを得 られる環境を整備していることは、今後の社会においても 大きな役割を果たすことと確信しております。 結びに、静岡産業大学のさらなる発展と、関係者の皆 様の一層の御活躍を心から祈念申し上げ、お祝いの言葉 といたします。 静岡産業大学開学30周年に寄せて 静岡産業大学開学30周年記念誌発行によせて

磐田商工会議所 会頭 藤枝商工会議所 会頭 静岡産業大学が創立30周年を迎えられましたことを、 心からお喜び申し上げます。 貴学は1994年に開学して以来、30年の長きに渡り、「孝 友三心」の精神のもと、磐田市内並びに静岡県内出身入学 者を多く受け入れ、次代を担う生徒を育成・輩出するとと もに、地域の持続的発展に大きく寄与してこられました。 また、地域社会の交流拠点としても、地域住民が気軽 に参加できる公開講座を定期的に開催され、地域住民と 教育の地域連携として多様な活動にもご尽力をいただいて おります。 これもひとえに、堀川知廣学長をはじめとする、歴代の 役員、教職員並びに関係者の強い使命感と並々ならぬ御努 力の賜物であり、深く敬意を表します。 これからも、これまでの30年の歴史を礎に、地域に寄 与する人材育成により一層努められるとともに、地域に貢 献し未来を拓く大学として発展されることに期待し、関係 各位の皆様方のより一層の御活躍を心より祈念申し上げ、 お祝いの言葉とさせていただきます。 この度、静岡産業大学が開学30周年の記念の年を迎 えられましたことを、心よりお祝い申し上げます。 静岡産業大学は、新しい大学を創造し、大学の新しい モデルとして、21世紀の産業社会と国際社会の求める専 門的職業教育を推進され、そこで学んだ多くの卒業生が 藤枝市はもとより静岡県内外で活躍されております。開学 以来、大学発展のためにご尽力してこられた理事長、学長 をはじめとする教職員の皆様に心から敬意を表します。 AIやIoTなどの技術革新やICTの進歩が急速に発展・ 変化する環境に適用することが求められる中、貴大学を はじめ、当商工会議所や藤枝市など、産学官金が連携し て「ふじえだICTコンソーシアム」を立ち上げ、貴大学学 長のリーダーシップのもとに地域産業のデジタル化の推 進、地域経済の活性化や人材育成、働き方改革、まちづ くりに貢献していただいておりますことに改めまして感 謝申し上げます。 今後も、実践的な教育を通じて「社会の求める人材を 育てる」という趣旨のもと、高水準の先端的な教育研究が 行われ、貴大学で育成された人材が、地域の産業・社会 を支え、 発展の基盤となることを期待しております。 結びに、静岡産業大学の更なる発展と繁栄を心よりご 祈念いたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。 静岡産業大学開学30周年を祝して ご挨拶

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