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香港のこと


教授 小出 雅俊(観光学、サービス・マネジメント論)

 3年生対象のゼミ研究では、前期に国内・海外の観光地をとりあげ、その魅力について学生たちと語り合っている.国内の観光地については、静岡はもとより、北海道から九州・沖縄までを視野に入れることが必要であると話している。海外に関しては、学生の関心は欧米の観光地に向きがちであるが、日本を取り巻くアジアの周辺国について一層理解を深めることが今後大切になってくる。ゼミでは、国内では静岡、北海道、沖縄など、海外では、韓国、中国、台湾、ロシアなどを適宜とりあげている。
 ところで、最近、筆者が気にかけている観光地は、一時期日本人に大変人気があった香港である。私が初めて香港を訪れたのは、1973年5月、大学4年生の春のことであった。 大学生時代、国内旅行には、友人とともに、国鉄(現在のJR)に乗って、あちこち出かけてはいたが、海外旅行は私には初めての経験であり、また飛行機に乗るのも初体験であった。
  ツアーは、3泊4日で添乗員付きの典型的な観光旅行だったが、ツアーの参加者は、県が若者対象に募集した研修旅行のため、20代の社会人の若者が殆どだった。同じ世代の若者同士すぐに仲良くなり、旅行を楽しむこととなる。ビクトリアピークやタイガーバームガーデンなど定番の観光地を巡り、中華料理を満喫し、土産物屋に案内されたりしたが、全てが新鮮な体験であったことが思い出される。ただし、買い物はお金がなかったので見るだけであったが。
 当時は、日本人の海外旅行が解禁されてから、まだ10年足らず、爆発的な海外旅行ブームを迎える前であり、年間の世界各地への海外旅行者数は300万人くらいだった時代である。
 その後、香港を再訪したのは、社会人となって数年後の1979年のことである。若手の社員が対象の海外研修員制度で赴任が決まり、期間は約1年であった。当時、香港は航空会社にとっては、東南アジアのキーステーションであり、また日本人にとっての人気の観光地でもあった。米ソの冷戦時代のさなか、共産主義の中国本土や戒厳令下の台湾への旅行はまだ一般的ではなかったからである。本場の中華料理をはじめ、中国文化に触れられる観光地として、また酒、タバコをはじめブランド製品を免税で安く購入することができる買い物天国の旅行先として、香港へは多くの日本人が訪れていた。
 当時の香港は大陸からの移住者も多く流入し、香港の人口は毎年増加していた。この頃の香港の様子は、ピーター・チャン監督の「甜蜜蜜」(邦名:ラブソング)に良く描かれている。先輩からは、日常の心構えとして、「駐在員とはいえ、日本人は外国人なのだから、万が一の時の対処法として、100香港ドル札(当時のレートで5千円程)を1枚ポケットに用意しておけ。」と言われたものである。
 しかし、個人的には治安上不安に感じることもなく、休日には一日中夕方まで市内を歩き回ったものである。当時の香港ドル紙幣は、英国のエリザベス女王の肖像がデザインされており、香港が英国統治下の植民地であることを明確に主張していた。
 アヘン戦争の結果、英国に割譲された香港は、British Crown Colony(B.C.C.)と呼ばれ、英国の統治下におかれた。英国人の香港総督が行政の最高責任者として任命され、社会の中枢部門ではイギリス人が権力を掌握していた。一方、経済面では、この地域の物流の集積地として、また東南アジアの金融センターとして、香港は成長を続けていく。日本人旅行者も増え続け、1年に数回以上香港を訪れる香港フリークと呼ばれる人々も現れるようになった。
 香港は1997年に中国に返還され、今年で返還後20年目となる。返還前まで、日本人旅行者で溢れていた香港は、返還後、日本人旅行者数は年間約120万人程度となり、一方大陸からの中国人は急増し、年間4千万人以上が訪れている。広東省からの旅行者が多く、郊外の住民が都心に買い物に出かける感覚で香港に行くとも言われている。
 こうした、香港と中国大陸の人的・経済的交流が急速に進む中で、香港の社会は大きく変動を余儀なくされ、香港社会の「中国化」が進行中である。中英の返還交渉時に、中国政府が保証した「一国二制度」のシステムは、返還後50年間は保証されるとされていたが、現状では、「一国」に大きくウエートがおかれ、「二制度」は著しく後退しつつある。
 2014年には、3月に台湾で中国への経済的な急接近に反対する「ひまわり学生運動」が起こり、香港では香港行政長官の選挙制度への抗議に端を発した学生・市民による「雨傘運動」が起こった。その後も引き続き民主化への制限に反対する活動が続いている。
 香港の将来は、最近の香港映画「十年後」に描かれたように、全くこれまでの香港とは異なる中国の一地域になるかも知れないと懸念されている。私は、返還後15年後の2012年に、30年以上の空白期間をおいて香港を訪れたが、九竜半島の郊外地区にまで広がっている高層マンションの大群を目にし、その急速な街の景観の変化に驚いたものだ。
 中国とイギリスの文化がモザイク状に混じり合った、東南アジアの一大観光地香港は徐々にその輝きを失っていくのだろうか。その後さらに急速に変わりつつある香港を直に体で感じるために、また数年ぶりに香港の地を踏んでみたいと考えている。