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ジュリアン・バーンズと墓地巡りと


准教授 岡谷慶子(現代英米女流文学、英米文化)

 現代イギリス小説はイアン・マキューアンやカズオ・イシグロなどの作品が映画にもなって、英語圏のみならず世界中の読者を惹きつけている。研究会でこのたび21世紀の英語で書かれた小説の論集を出すにあたって、私はジュリアン・バーンズを選んだ。バーンズはブッカ―賞受賞作の『終わりの感覚』というリアリズム小説もすごかったが、彼の本領はノンフィクション・ノベルである。21世紀はアメリカの同時多発テロ事件で幕を開け、このような現実が虚構を超えた不確実性の時代にあっては、作家の想像力に歴史的事実をもってリアリティを補強する必要があるのだろう。
 『アーサーとジョージ』はサー・アーサー・コナン・ドイルが実際に関わったインド系イギリス人弁護士ジョージ・エイダルジの家畜版切り裂きジャックといわれた冤罪事件を扱っている。ジョージ・エイダルジの父シャプルージはゾロアスター教からキリスト教に改宗してイギリス人女性と結婚して叔父から聖職禄を受けつぎ教区牧師になった。ジョージ少年の受けたいじめやエイダルジ一家の被る悪戯のくだりは読むのが辛かったが、章のタイトルに「終わりのある始まり」とあるので、迫害が止むことを期待しつつ我慢して読み通した。アーサーの自伝と併せてアメリカ推理小説家ジョン・ディクスン・カーによる『コナン・ドイル伝』(1949)を読んでみて、伝記が書かれた時点でも事件から四十年以上たっているのにインド人が黒人と一括されており、警察部長の言動に白人優越主義が満ちあふれ、伝記記者の語りもそれを無批判に記述している点では古さを感じさせられた。といっても昨今の国際情勢は過去の白人至上主義の再燃を思わせる動きが目立っている。こんな時代だからこそ、文学をとおして過去を顧みる必要があるのではないか。最終章「終わり」でアーサーの死後、後半生に彼が布教に専心した心霊主義の会衆がアーサーを偲んでアルバート・ホールに結集する場面は圧巻で、作者も読者もその場のジョージの心情にぴったり寄り添い同化してしまう。
 バーンズの最新作の『ノイズ・オブ・タイム』もスターリン政権に翻弄される音楽家ドーミトリィ・ショスタコーヴィッチの姿を描いた。最近、バーンズが妻の死という悲劇を乗り越えていく経験を語った『人生の段階』の日本語訳が出版された。バーンズは墓地巡りを趣味としている、と何かで読んだことがあるが、彼の短編で第一次世界大戦のソンムの戦いで、弟を亡くしたイギリス人女性がフランスの共同墓地巡りを生きる支えとしている「永遠に」という印象的な作品がある。私もイギリス文学専攻という職業柄、一年に一度は国際学会参加を心掛けているが、昨年オックスフォード行きの折にロンドンで半日自由時間ができたので、彼に倣ってハムステッドにある教会墓地を訪れてみることにした。
 ハムステッドは文人村と言われるくらい作家にゆかりの深い地区である。行ってみたらガイドブックにも記載のない文学ファンにとっての聖地巡礼の宝庫であった。ブラム・ストーカーが『ドラキュラ』で言及している教区のセント・ジョン教会は文学散歩のウェブサイトによれば、オスカー・ワイルドの愛人アルフレッド・ダグラスのフラットの目と鼻の先である。その墓地にはピーター・パンの作者ジェイムズ・バリーと家族ぐるみの交際をしたルウェリン・デイヴィス家の墓があった。ジョニー・デップがバリーに扮した映画「ネバー・ネバーランド」で描かれたのと違って、ピーター・パンのモデルは息子のピーターひとりではなく実際はバリーが愛した兄弟全員を合成して生まれたキャラクターである。画家のジョン・コンスタブル、マックス・ビアボウムの異母弟ハーバート・ビアボウム・ツリー、名画『レベッカ』の原作者ダフネ・デュ・モーリアの父、ジェラルド・デュ・モーリアの墓もあった。ジェーン・オースティンのおばフィラデルフィア・ハンコックといとこのエリザベス・オーステインの墓石も発見した。一番感動したのは童話作家のエリナ・ファージョンの墓である。その周囲は荒れ果てて、いばらのつるをかきわけて近づかなければならないくらいだった。まったく愛好者にとって墓地巡りは、時間を忘れる程楽しいパスタイムである。しかもお金がかからない。ハムステッドには児童文学関連ではケイト・グリーナウェイの家や、メアリ・ポピンズの作者トラヴァースの住居もある。

ピーター・ルウェリン・デイヴィスの墓碑 (2016年9月4日撮影)

エリナ・ファージョンの墓 (2016年9月4日撮影)