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遺伝子とは何?


教授 大堀兼男(生命科学)

 生命関連の話題の中で、遺伝子やDNAのほかにゲノムという言葉がよく使われるようになってきました。このような状況は、生命科学の研究が進んだ結果、遺伝子の概念が変化してきたためだと思います。そこで、遺伝子の概念の変化について考えてみようと思います。遺伝子という言葉は、遺伝現象において親の形質を伝える因子のことを指したのが始まりです。このような概念が明確に研究対象として出てきたのは、ダーウィンの頃からです。ダーウィン以後の遺伝現象に関連したモデルの変遷について見ていきましょう。

 ダーウィンは『飼育動植物の変異』(1868)の中でパンゲン説を唱え、仮想の微小粒子「ジェミュール」の存在を仮定しました。細胞の種類に対応したこの粒子が細胞から放出されて、生物の体の中を循環すると考えました。また、この粒子が生殖器官に集まり、子孫に伝わると彼は考え、遺伝現象の説明としました。ネーゲリは、1884年、有機分子がミセル構造を取って長い鎖の束となり、これで構成されたイディオプラズマが子孫に伝わると考えました。彼は細胞内の一部が遺伝形質の伝達に関与すると考え、遺伝質と名づけましたが、これがイディオプラズマに対応することになります。そして、両親から由来したミセルの束から新しいミセル群が作られ、両親の中間の形質を形成したと考えたわけです。

 ド・フリースは、1889年、「細胞内パンゲン説」を主張しました。彼はダーウィンの「ジェミュール」の特徴を変更して、細胞内の核にだけで増殖し、細胞質に移動するが核には戻れない粒子を仮定しました。「ジェミュール」とは異なるので、「パンゲン(pangen」と名づけました。ダーウィンとは異なり、彼はそれぞれの形質に対応した「パンゲン」があるとしました。

 ワイスマンは、1892年、遺伝に関する理論を発表しました。最小の生物学的単位を「ビオフォア」と名づけ、これが自己増殖して核から細胞質へと移動するとしました。そして、「ビオフォア」が集まって「デテルミナント」を作り、「デテルミナント」が集まって「イド」となり、「イド」が集まって「イダント」になるとしました。ここで、「デテルミナント」は形質を決定するものとし、「イダント」が染色体に対応すると考えました。彼は、核内の染色体と遺伝との関連性に注目したわけです。

 ヨハンセンは、粒子的なものの正体は不明であるとし、ド・フリースの「パンゲン」のかわりに「ゲン(gen)」という名称を提唱しました。今までは、ゲンなどに粒子的な存在を考えていましたが、彼はゲンを操作的概念という位置づけにしました。これを英語ではgene(日本語では、遺伝子)と呼ぶようになりました。遺伝と言えばメンデルの法則が有名ですが、ド・フリースなど3人により再発見されたのは1900年です。メンデルは現在の遺伝子に相当する因子が、体を作る細胞では2つあり、生殖細胞では1つに分離して、受精でまた2つになると仮定しました。この仮定から3つの遺伝の法則を導き出し、エンドウの交雑実験で証明したわけです。そこで、この法則からある遺伝の因子の実在が証明されたことにもなります。

 モーガンはショウジョウバエを実験材料に使ってその突然変異(たとえば、正常なハエは赤眼ですが、白眼のハエを見つけました。)を調べ、遺伝子の研究を行ないました。また、弟子のスタートヴァントは遺伝子が染色体上に並んでいると考え、 染色体地図を作成しました。

 その後、細胞については、形態学的研究から物理化学的な分析、つまり分子レベルでの研究が進みました。また、遺伝子の性質についても生理学的な研究が進みました。その結果、染色体の成分であるDNAが遺伝子であることが証明され、1953年、DNAの構造が明らかにされて、その特徴と機能が解明されました。遺伝子は核酸という二重らせん構造の高分子であり、2本のヌクレオチドの鎖から突き出ている4種類の塩基でつながっていることがわかりました。さらに、DNAの機能として2種類あり、1つは自己複製、もう1つは情報発現であることがわかりました。情報発現とは、DNA→RNA→タンパク質という遺伝情報の流れ(セントラルドグマ)を指します。このうち、DNA→RNAの段階を「転写」と言い、RNA→タンパク質の段階を「翻訳」と言っています。ここで、遺伝子とはタンパク質を作るもとになる設計図という情報学的意味が出てきました。ところで、タンパク質は20種類のアミノ酸から作られる高分子であり、DNAは4種類の塩基が並んでいます。遺伝情報の発現では、DNAの塩基3個がアミノ酸1個に変換されます。そこで、塩基3個を遺伝暗号(コドン)と言っています。遺伝子の細胞内の働きはタンパク質を作るということになります。

 また、遺伝情報といった場合、それはDNAの4種類の塩基がどのように並んでいるかということを指すことになります。生物の全遺伝情報をゲノムと言います。具体的には、体細胞では性染色体以外では同じ染色体が2本ずつありますので、その半分がゲノムに相当します。たとえば、ヒトの染色体は46本ありますので、性染色体を除いた44本の染色体(常染色体)の半分の22本と2本の性染色体(XとY)とを合わせたものがヒトゲノムとなります。ヒトゲノム計画とは、このゲノムの塩基の並び(約30億塩基)を決定する研究のことです。

 さて、DNAのすべての部分がアミノ酸の情報とは限りません。実は、核を持った細胞である真核細胞(動物や植物の細胞)では、DNAに2つの部分があり(エクソンとイントロン)、転写後にRNAの複数のエクソンの部分だけが切り貼りされて、タンパク質の情報源であるmRNAになるのです。実は、DNAの中には、不必要と思われるイントロンが多く存在します。そして、このような構造のおかげで、1本の遺伝子DNAからエクソンの組み合わせによって異なるタンパク質が作られ、細胞によってタンパク質の種類に差が出てくるのです。また、遺伝子にも様々なものがあり、他の遺伝子の転写を調節するタンパク質(転写因子)を作る遺伝子もあります。この遺伝子は調節遺伝子として、ある遺伝子のスイッチとして働くことになります。この遺伝子の働きで細胞によって遺伝子の発現に違いが出てくることになり、作られるタンパク質の種類も異なり、様々な機能の細胞の分化へとつながります。個体の出発点である受精卵はどのような細胞にもなれる万能細胞ですが、発生が進んで組織を作っている分化した細胞は他の細胞にはなれません。これは、スイッチである調節遺伝子の発現がいくつか抑制されていて、特定の遺伝子だけが発現していると考えられます。また、遺伝子以外のDNAの部分が多くありますが、このDNAも遺伝子の発現の調節に働いていると言われています。

 このように、発現している遺伝子は、時(発生の各段階)と場所(各種の細胞)によって異なり、遺伝子全体はシステムとして働いていると考えられます。初期の頃の粒子的な見方から情報学的な見方、さらにはシステム的な見方へと遺伝子の見方は変化してきたと言えます。