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evolutionの意味


教授 大堀兼男(生命科学)

 学問の分野では、新しい概念を表わすために専門用語が新しく作られることがあります。たとえば、「パラダイム」という用語が、科学史の分野で科学の不連続性を表わす専門用語として出てきました。そして、一般にも別の意味を持って使われています。"evolution"は進化を指す用語として使われていますが、進化論を科学的に確立したダーウィンは主著である『種の起原』(初版は1859年)の第5版までは使っていませんでした。彼は第6版(1872)ではじめて7回も使っています。彼は進化を指す言葉としては、「変化を伴なう由来(descent with modification)」を使っていました。ダーウィン以前に進化論を発表したラマルクは"transformisme"(変遷)という言葉を使っていました。また、ほかには進化を指す用語として"transmutation"(転成)が使われていました。ダーウィンも進化に関する研究ノートのタイトルを「転成ノート"transmutation notebooks"」としていました。

 実は、進化の意味で使われる以前から、"evolution"の語は別の意味を持って使われていて、ダーウィンはその使用を避けたもの思われます。そもそも、"evolution"はラテン語の動詞"evolvere"に由来します。"evolvere"は巻物のような書物をまわして拡げるという意味で、発生学で使われていました。この語は受精卵から展開して成体が作られることを指し、日常語としては、一般に、展開、発展、進展、発生の意味で使われていました。その後、生物学では個体の発生と生物の進化との類似性が注目され、進化はある一定の方向に発展すると考えられました。その結果、進化の意味で"evolution"を使うようになったのです。

 では、"evolution"を進化の意味で使い始めたのは誰でしょうか。現在、わかっているのはライエルが『地質学原理』(1830-33)の第2巻(1832)で3回、進化の意味で使った例があります。この本の中で、彼はラマルクの進化理論を批判しました。ラマルクは生物の前進的進化を考え、単純な生物から複雑な生物へと生物は進化してきたと主張しました。ライエルは進化論を否定していましたが、その後進化論を主張する人にこの本は影響を与えました。たとえば、チェンバーズは進化論を支持して匿名で『創造の自然史の痕跡』(1844)を出版しました。彼は天文学と地質学・古生物学について記述し、天体や生物の変化は発達であるとして「発達法則」を主張しました。彼は初版では"evolution"を使いませんでしたが、第10版(1853)で使うようになりました。

 広く"evolution"を進化と結ぴ付けて広めたのは、スペンサーでした。また、彼は生物学以外の分野にも使われるきっかけを作りました。スペンサーは、宇宙、生物そして社会には、進化という発展を支配する法則が存在すると考えました。彼の「発達仮説」(1852)の論文には"evolution"が使われていませんでしたが、「進歩:その法則と原因(1857)」では多用されており、万有進化論を主張しました。

 以上のように、ダーウィン以前の進化論は発展理論に基づくものでありました。そこで、ダーウィンは自己の進化論が前者達と異なることを明確にするために、"evolution"の語を使わなかったのです。彼は、進化の要因として個体変異の遺伝と自然淘汰を考え、生物の進化は偶然が作用する現象と考えました。彼は、生物の進化が単純な生物から複雑な生物へと変化するという方向性を持っているとは考えなかったのです。つまり、ダーウィンによれば、"evolution"は生物の進化を指す用語としては不適切なものといえます。