研究と放浪の自己史


研究分野・方法

  認知心理学を専攻しています.その中でも,人間の記憶について,卒論以来ずっと

研究しています.

  研究方法は実験です.主に自由再生(free recall,暗記した言葉を思い出して,

自由な順番で報告するという方法)という記憶測定法を用いた実験をしています.

その他に,再認(recognition)を用いた実験もしています.最近になって,プライミング

(priming)を用いた実験も行いました.


学部時代

  4年になる頃までは,記憶の分子仮説(形成された記憶は,なんらかの実態としての

痕跡を残す.長期間持続する記憶は,新たな神経細胞の形成の結果生じる.このことは,

個々の経験に特異的なタンパク質の増加として確認することができる.さらに,長期記憶

形成の前段階である短期記憶は,特異的なRNAの増加として確認できるという説.)を

研究したいと思っていました.クラス担任だった小川捷之先生に連れられて,東京教育大

の藤田統先生の研究室を訪問しました.ちょうど修論で分子仮説の検証実験をされている

方がいらっしゃったので,毎週訪ねていっては,見学させていただきました.帰りに,お茶の

水の専門書店で,核酸・酵素・タンパク質という雑誌を買ったりしていました.結局,貧乏な

母校ではこのような研究は不可能ということから,人間相手の自由再生実験に入り込んで

いきました.Rundus & Atkinson (1970)やCraik (1970)あたりが,最初に読んだ文献です.

  卒論は,短期間で生じる忘却について調べました.前期に実験1を行い,実験2を終えた

11月頃から,夢中になってデータ解析に狂いました.分散分析などの解析でなく,自由再生の

新しい指標を考え出したかったのです.自由再生は,思い出す順序が被験者の自由に任され

ています.ということは,思い出す順序に心理過程が反映されているはずです.けれども,

単一試行自由再生では,系列位置の関数として再生率をプロットする系列位置曲線の分析

ばかりでした.これでは,自由再生結果からの情報を使い切っていないと思ったのです.

  朝8時過ぎに大学に行き,夜8時過ぎに帰ってきて,夜中の2時3時まで続きをやり,翌朝

また8時過ぎに大学へという生活を続けていたら,1ヶ月後に,夜中にふるえが止まらなくなり

ました.急な発熱だったのだと思います.下宿の向かいの人を起こして,医者を呼んでくれと

いったら,救急車を呼んでしまいました.救急車に乗せられ,病院をたらい回しにされたあげく,

からり遠くの病院でおろされました.注射一本射ってくれておしまい.やむなく,なけなしの金を

はたいてタクシーで帰りました.奨学金と家庭教師だけで(仕送りなしで)やっていたので,

それはつらい出費でした.さらに,救急車の中では,救急隊員がしきりに説教するのです.

「良い若い者が,こんな始末でどうするんだ.」などといっています.どうやら,私が急性アル中

(酔っぱらいすぎ)で担ぎ込まれたものと勘違いしていたようです.病院をたらい回しにされた

のも,行く病院,行く病院が急性アル中の患者で一杯だったからなのです.事情を説明するの

もするのもしんどくて,説教されるなりにしていましたが,なんだかねー....

その翌日からは,胃が痛くなり,歩道の段差でも胃にひびきました.それでも卒論を続けられた

のは,若かったからでしょう.

  結局,新しい指標は,帰省して紅白歌合戦を見ているときに思いつきました.その時は,

画期的なものと思っていましたが,今見るとどうってことありません.

  横浜では,生きていくことへの自信がつきました.生まれて初めて親元を離れ,奨学金と

アルバイトだけで卒業できたことは,やはり大きな自信になりました.確かに,土地勘のない

ところでのお中元の配達や,横浜駅地下街にある中華料理店のボーイ,実際の授業さながら

の塾教師などは,つらかったけどとても良い経験と自信をつけてくれました.それ以上に,

家庭教師で週2食の栄養と生活費をいただいた大嶽さんには感謝しています.

  小学校の教育実習も,とても良い経験になりました.その時に学習したことを,今でも憶え

ていて,授業に活かしています.指導教官の平出彦仁先生の心理学の授業と宮脇先生の

生物学(教養)の授業は,現在の教養教育講義の原型となっています.また,平出先生から

受けた卒論指導と所属していたキリスト教研究部の家庭的な人間関係は,ゼミ運営の原型

となっています.キリスト教研究部については,いずれどこかで書きたいと思っています.


大学院

  大学院に入ってからは,憶えるための工夫(リハーサル,反復の効果,処理水準,

体制化など)について調べるようになりました.博士課程に入った頃から,反応間時間

による計測も行うようになりました.修士論文は,自由再生におよぼすリハーサルの

機能についてまとめました.修論には4つの実験を載せましたが,それを改訂して

実験し直したものが「漁田・漁田 1994 口頭リハーサルにおける反復が自由再生に

およぼす効果 心理学研究・第65巻・第4号・Pp. 278-285」です.

  大学院に行ったのは,とにかく実験が楽しかったからといえます.文献を読むのは,

あまり好きでなかったけど,(1) 実験のアイデアを練ること,(2) それを実際の実験に

具体化していくこと,(3) スライドづくりなどの準備,(4) 実際に実験して少しずつデータ

が集まる過程,(5) 集まったデータを色々と分析すること,(6) その結果,不明だった

ことが少しずつ明らかになっていくこと(それ以上にわからないことが増えることがほとんど)

など,いずれもワクワクドキドキするほど楽しいことばかりです.

  残念ながら,この頃は論文を書く楽しさというものが,まったくわかっていませんでした.

実験をして,わからなかったことがわかればそれで十分満足してしまい,すぐに別の実験を

始めると行った具合でした.学会発表はするのですが,それでおしまいでした.

  たいていの人は,修論を心理学研究や教育心理学研究に投稿し,それが学会への

デビュー作になるのです.でも私の場合,デビューはずっと後になってからでした.

  色々な人が色々な動機によって研究を行います.その動機が外的なものであれば,

その外的動機が満たされた次点で研究は終わります.大学に入るためだけに勉強して

いれば,大学に入ることで勉強しなくなるのは当然ですね.(⇒何のために参照

  修士時代は,博士に進学するために頑張って研究します.私の大学院では,修士の

半数しか博士に進めないのです.博士進学が動機のほとんどであれば,そこで研究は

終わります.それでも,たいていの人は,今度は就職のために頑張ります.研究業績が,

就職でものをいうからです.そのまま落ち着ける先(そこに居続けて頑張れば教授まで

いける可能性があるところ,われわれは永久就職と読んでいました.)に就職すると,

そこで,かなりの人の研究が止まります.それでも,教授になるまでは,昇進のために

研究が続きます.教授になってしまうと,もうそれ以上の外的動機は存在しません.

ほとんどは,これで終わります.それでもなお研究している人は,やはり内的動機に

もとづいているのでしょう.言い換えると,好きなのです.研究=遊びになっているという

見方もできます.

  修士課程では,心理学全般についてくまなく勉強させられました.学部時代は,自分は

記憶を専攻していると思っていました.修士に入って,自分は心理学を専攻していると思う

ようになりました.特に,ドイツ語テキストを使った言語発達の演習(古浦一郎先生)や,

Thorndikeの638ページの本を調べることになった幼児心理学演習(祐宗省三先生)は,

死ぬほどきつかったけど,今となってはよい想い出です.


助手時代

  助手になった頃は,反応間時間の計測と分析の研究を中心にしていました.

  そんな頃に,現在の中心テーマであり自分の研究のライフワークと考えている

文脈依存記憶(文脈依存記憶の詳細を知りたい人はここをクリックして文脈依存記憶の

解説(PDFファイル)を参照してください.)に出会いました.

 面倒を見ている卒論生の1人が,「反復の分散効果」(反復して暗記する場合,

間をあけて反復する方が,間をあけずに集中的に反復するよりも,効率よく暗記する

ことができるという現象)をテーマにして実験をしていました.ある日,さらなる分析の

ために,一度実験した被験者にもう一度会って,自由再生のテストをするように

指導しました.その卒論生は,さまざまなところ(心理学科の廊下,図書室,階段,

大学のグラウンド,食堂,下宿の電話口など)で被験者を見つけだし,テストをしました.

それが,最初のテストから1週間後でした.その結果,暗記直後では確認できた分散効果

が,2回目のテストでは消えていました.当初は,1週間という長期保持期間後には,

分散効果が消えるのだろうと考えていました.けれども,その後,暗記した時と異なる文脈

でテストしたからではないかと考えるようになりました.それが1980年のことです.Canas &

Nelson (1986) の電話口での再認実験よりもかなり前のことです.文献を調べると,環境的

文脈効果に関する実験が,多くはないが,行われていることを知りました.「暗記した時とは

異なる文脈下でテストすると反復の分散効果が消失する」という考えは,ずっと頭にこびり

ついていました.けれども,まもなく広島大学を離れ,国立特殊教育総合研究所に転任し,

そのような実験を自ら行うことができなくなりました.

  それまで記憶の基礎研究ばかりやっていた私にとって,国立特殊教育総合研究所という

まったく場違いなところに転任したのには,もちろん理由がありました.

(1) 自分の研究に行き詰まりを感じていたこと.

(2) 心理学以外の人の中に入っていきたいと思っていたこと.

(3) 研究所というからには,研究だけをしていればいいのだろうと,勝手に決め込んでいたこと.

(4) 助手も長くなると,後輩の手前,居心地が悪くなるということ.自分が居続ける限り,後輩が

助手になることができないのです.

  助手時代は,研究室運営業務と実験実習が業務内容でした.研究室運営業務とは,研究費の

執行事務,研究室同窓会事務と同窓会誌の発行,研究室発行の英文雑誌の編集などさまざまです.

実験実習では,基礎実験,特殊実験,心理検査法などを担当します.

  表向きはそれだけですが,実際は,卒論や修論の実質的指導をしていました.11月頃にも

なると,20名あまりの学生が助手の研究室に押し寄せてきて,毎日毎日「♪お祭りみたいに

にぎやかね♪」という状態になります.さらに助手の研究室(公的には実験室)には,博士課程

の学生が3名程度同居しています.毎日,そんな連中の相手をしていると,あっという間に1日

が過ぎ,1年たってみると,学会発表と紀要が残るだけという日々でした.このままでは,

どうしようもなくなるのではという焦りもありました.そんな時に研究所の話が来たのでした.

それまでも,数え切れなきくらいの大学の公募に応募し,次点止まりということを繰り返して

いました.

  研究所の場合も,そんなものの中の1つでもあったのでした.


国立特殊教育研究所

  そんなこんなで,国立特殊教育総合研究所に赴任しました.しかし,そこは自分にとって

居心地の良いところではありませんでした.研究所とは名ばかりの研修所(現場の教員の再教育

の場),研究費がほとんどないこと,時間の自由が利きにくいこと,給料が安いこと,などさまざまな

ことがありました.けれども何よりつらかったのは,それまでの研究経験がほとんど活かせないという

ことでした.配属されたのは,重度精神薄弱教育研究室.対象となる子どもは,言葉を使えません.

これまで,言語材料の記憶を研究し続けてきた私には,手足をもがれたようなものでした.

 コンピュータにはまったのは,こんな頃です.早い話が,コンピュータに逃避していたのでしょう.

毎日,朝日求人欄のプログラマー募集を,かなり真剣に見ていました.もう少し長く研究所にいたら,

プログラマーになっていたかもしれません.

  そんな頃に,後輩の森井康幸君(当時広島大助手)が「文脈と分散効果の実験」をやってくれること

になりました.研究所では実験ができないけれど,リモートコントロールで実験をすることができることは,

私にとって何よりの救いでした.このときのデータに,静岡大学に転任してからさらにデータを加え,

論文化しました(漁田・森井 1986 自由再生における分散効果の文脈依存性 心理学研究・第57巻・

第1号・Pp. 20-26).これが,私の文脈依存記憶研究のスタートでした.

  研究所で2回目の正月を迎えた頃,大学院の同級生だった平岡恭一君(弘前大教育)から,静岡大学

教養部で教官公募があることを聞きました.電話口で,公募要領を書き取りました.それまで,さまざまな

大学に応募しては,次点止まりを続けていたので,どうせ無理に決まっていると思っていました.それでも,

宝くじだって買わなければ当たらないと思い,応募することにしました.研究部の部長に話したら,

快く承認してくださったのですが,事務部で難色を示されたとのことで,難航してしまいました.

そんな時に,室長の位頭先生や研究員の藤田先生に大変な援護射撃をしていただきました.

難航していたので,かなりめげていたのですが,頑張り抜くことができました.このお二人には,

このときばかりでなく,本当に良くしていただきました.人生の大切な恩人です.

  また,研究所にいた時間は,あまり長くはなかったのですが,それまでの人生で触れ合ったことのない

世界を見ることができました.それまでの独りよがりで地に足のついていない研究を見直す機会も,

与えてもらいました.今にして思えば,研究所に入ったことは,私にとってかけがえのない財産になって

います.

  なお,研究所では,研究室のテーマである「ムーブメント教育」というものを,長期研修生(現場の

養護学校の教員が,1年間研修のためにやってくる.研究所で,研修して変えると,ほとんどがエリート

コースにのるとのこと.上越教育大や兵庫教育大などの大学院ができて,1年間の研修そのものが微妙に

なってしまった)と一緒になってやっていました.障害児に,前庭刺激を中心とした運動をさせることで,

心身の発達を促進するというものです.多分に理念が先行しているので,実証の必要性を感じ,その準備を

していた矢先に転任しました.

  そのほかに,障害児の教育相談というものもしました.


静岡大学教養部

  そんなこんなで,静岡大学教養部に転任することができました.教養部というところは,私にとって,

とても居心地の良いところでした.専門学校化している現在の大学とは正反対で,本来の「知」や「教養」

というものが大切にされるところでした.すぐに役にたたないものの価値のわかるところでした.教授会

をはじめとする会議は多くかつ長かったけれど,本当の大学の自治が生きているということを実感する

ことができました.そんなところに入ることができて,本当に幸せでした.色々なことに,夢中で

取り組みました.心理ゼミ(心理ゼミのページへ)もその一つです.

  大勢の受講生を抱えていたことを逆手にとって,受講生参加実験というシステムをつくりました.

毎回授業の時に,実験参加予約表を持っていき,そこに氏名と学籍番号を記入しエントリーします.

予約した時間に,実験室に来ると,実験に参加できるのです.このシステムは,うわさに聞いていた

アメリカのシステムを借りたものです.違うのは,アメリカでは実験助手が実験をするのですが,

私の方は,私自身が実験も講義もするということです.講義の最後には,その実験データを用いた

特別講義をしました.このシステムを使って,実験をしまくりました.毎年,200−300名は実験

しました.博士論文に掲載した9つの実験は,こうして実施しました.

  そんな幸せな日々は10年余続きました.けれども,教養部は,外圧に負けつぶれてしまいました.

教養部がつぶれた日は,日本における本当の大学がつぶれた日だと思っています.現在,科学のない

技術先行の大学(一応大学という名が付いているが,その実態は専門学校)群が林立するようになって

います.私にとっても,教養部赴任以来かけて築いてきた色々なものが失われていきました.

心理ゼミもその一つです.

  教養部によって,私の研究の裾野あるいは土台を固めてもらいました.教養での授業では,「生まれて

初めて心理学の講義を聴き,そして2度と聴くことのない人たち」を相手にします.そのような受講生に

きちんと聴いてもらうには,まずこの講義自体に興味を持ってもらう必要があります.そのために,

今まで心理学で得たものを総動員して,自分の講義を作りました.上手な講義の導入(つかみ)以上に,

この講義は面白いんだという先入観(ブランド価)を付けることが重要です.人気芸人は,出てきただけで

笑ってもらえます.駆け出しは,相当面白いことをしても,なかなか笑ってもらえません.うまい具合に,

人気講義と認められ,私の講義を受講するためには,いつもかなりの倍率の抽選が行われるようになり

ました.もちろん,それを維持するためには,中身が面白くなくてはなりません.専門外の受講生相手に,

心理学を,体系的に,わかりやすく,面白く,さらに後口の良い講義するために,これまた全身全霊を

かけました.そのおかげで,自分自身の心理学の知識の体系化が,ずいぶん促進されました.

自分の専門研究を,より広い視野に立ってみることができるようになったと思います.
 
  教養部がつぶされた現在,教養教育は全学出動で行うことになっています.けれども,もともと

専門学部に所属していた教官は,教養教育の担当を大変いやがります.私からいわせると,こんな

もったいない話はありません.自分自身を鍛え,(受講生によって)自分を成長させてもらう大変な

チャンスをミスミス逃がしてているのですから.また,教養教育ひとつやったことのないような教官に,

卒研等の指導を受ける学生も気の毒です.

  教養部時代に,論文を書くということの楽しさも知りました.これにはパーソナルコンピュータと

ワープロソフトの発達が無縁ではありません.自分の考えを,文章にしてみます.それを読み返して

みて,自分の言いたいことは違うと感じます.そこで,また書き直すのです.自分の言いたいことが

うまく文章になったときの感動は,曰く言いがたいものです.こんなことができるのも,ワープロに

よる編集機能のおかげです.

  論文を書くためには,きちんとした文献研究が行われていなくてはなりません.これまでの研究

の流れの中に位置づけることができない実験は,単なる思いつき実験に過ぎないのです.もちろん,

実験前にきちんとしたプレビューをしておくのですが,結局,論文を書くときに,またまた文献を

ひっくり返すことになります.そして,自分の実験データをうまく位置づけられたとき,これまた快感

です.


静岡大学情報学部

  教養部がつぶされ,教養部の一部と工学部の一部を母胎として,情報学部ができました.私も,

その一員となりました.情報学部は,現在進行形であり,まだレビューするには早いのですが...

  情報学部に入って,卒研生や大学院生の指導を行うようになりました.助手時代に,実質的

指導をしていたとはいえ,教養部時代にゼミをずっと続けていたとはいえ,本当の指導学生を

持ったのは初めてということになります.もし,教養部ではなく,専門学部に最初から赴任していたら,

自分の研究人生も,かなり変わったものになっていたのではないかと思います.どちらが良かった

のかは,もっと先になってレビューすべきことでしょう.

  専門教育,とりわけ学生指導は,背中を見せてすべきと思っています.もっとわかりやすく言えば,

教官自身が,自分の研究をめいっぱい楽しんでいる姿を見せることだと思います.そのためには,

とにかくいつまでも第一線で研究し続けることが大切と思っています.大学院時代に,とても面倒

見の良い先生がいました.事細かなことまで指導してくださいます.でも,その先生の研究を見ると,

あまり尊敬できなかったのです.逆に,ほとんど口を利いたことはないけれど,確固たる研究成果を

あげている先生にあこがれ,尊敬しました.

  このことは,研究者になる学生のためばかりでないと思います.4年で就職していく学生が,当然

大半を占めます.そんな学生達も,教官が楽しそうに研究し教育している(=遊んでいる)姿を

見ることが,とても良い教育になるとかんがえます.教師ばかりでないでしょう.親だって,特に

父親の存在は,そのようなものではないかと思います.

  ただし,私の場合,特にそう考えて行動しているわけではありません.内的動機で動いています.

研究や教育は楽しいのです.特に実験と論文書きは楽しいのです.これはどうしてもやめられません.

卒研生や院生の指導は,この楽しさを伝えることだと思っています.

  


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