Inbelbel


  静岡大学に,Inbelbel というサークルがあります.Inbelbelとは,アフリカのコトバとのことです.

意味を教えてもらいましたが,忘れてしまいました.  

とにかく,音楽好きの連中が集まって,音楽情報誌を作っています.作るだけでなく,配布しまくっています.

この前も,生協のCDコーナーにもおいてあるのを見かけました.

 ひょんなことから,この雑誌の対談コーナーに出演する羽目になりました.自主ゼミのメンバーが,

このInbelbelのメンバーでもあったことが発端です.さらに,Inbelbelの創設メンバーの一人が,

私のフレッシュマンセミナーの元受講生でした.彼は,中心になって雑誌づくりに励んでいます.

なにより,彼の書く怪しげな表紙絵は,不思議な魅力を持っています.

  対談に出て,それが掲載されている号をもらいました.これほど役に立たないことに,

一所懸命になり,とても良い仕事をする若者が,今の時代にもいることに感動を覚えました.

 なんだかんだで,気がついたらこのサークルの顧問をさせられていました.

 下に掲載するのは,その対談です.

 


《INBELBEL異色音楽対談》

このコーナーは、編集者の身の周りに住む音楽好きに強制的

に対談を申し込み、音楽論をぶつけ合うというコーナーです。

今回のstranger

静岡大学 漁田武雄教授


―ではまず、音楽との出会いについて。初めて音楽にシビレタ時の

こととか、初めて買ったレコードとかの話しをお願いします。

I :ええーっと、もともと接触したのは…家が洋服を縫う仕事を

してたんですよね。オヤジが洋服の仕立てをやっていたんですが、

仕立てではなかなかやっていけなくなって、大きな洋服屋の下請

けで、ズボンのすそ上げをしたりとか、洋服のサイズを色々と体

に合わせて調節するというような仕事をやっていたんですけど、

そこに家内工業だから、オヤジがいてオフクロがいて兄貴と、3

人がずっと縫ってるわけ。だから1日中ラジオがかかってる。

そこでいろんな歌謡曲とか、そこでは人前で色々と話したりする

ことの原点である落語なんかにも触れたんだけど、歌はとにかく

その時で、ええーっと本当に小さな頃に「お富さん」だとか。

―「〜死んだはずだよぉ お富さん〜」ですね。

I うん。そういうのを聴いて育ったのがありますね。

―それは40年くらい前ですよね。

I そうですね。1950年代・60年代ってとこですね。で、そうい

う中で、兄貴が映画音楽が好きだったんですね。で、一家総出で

みんな映画が好きで、映画を見に行くんですよ。それも仕事   

が終わったあと、2本立てとか3本立ての一番最後のだけ観ると

割引になるんですよ。しかもその最後が一番いい映画をやってい

るわけだから、そこに連れて行かれて映画を見ましたね。特にア

メリカ、ヨーロッパの映画音楽っていうのがもう1つの音楽の原

点の一つですね。ラジオで聴いた歌謡曲と、映画で流れるサウン

ドトラック。で、それとあとビートルズを知るまでのルーツとし

ては、アメリカンポップスってのを兄貴がよく聴いてたんで、兄

貴といってもですね、私の上は原爆で、それインターネットで見

てもらうと分かりますが、死んで、12違うんですよ。で、その

兄貴が私が物心ついたときにはもうティーンエイジャーだったで

すから、エルビス・プレスリーだとか、ポール・アンカ、ニール

・ セカダなんてのがラジオで流れてくるのも聴いてました。その

時ビートルズと出会ったわけで…小学生だった…ですね。なんか

ね、3つぐらいの時、ゲーリー・クーパーのハイヌーン(真昼の

決闘)という映画があるんですが、その主題歌の「オーマイダー

リン」という一節を歌いながら歩いていたというのを聞いていま

す。自分で記憶はないんですが(笑)。

―(笑)

I そりゃ3つぐらいだったかな。でー、ビートルズとの初めての

出会いも映画館だったんです。映画観に行った時、間にニュース

が入るでしょう。その時に、今にして思うとアメリカコンサ−

トの様子が流れてたんです。それまでエルビス・プレスリーと

か好きだったけど、ビートルズっていうすごいのが出たって聞

いて。だけども初めて見た映像っていうのは女の子が「ギャー

ッ」って言ってて。で、なんだか分からん「ギャーッ」ってい

う音の中でなんか髪振り乱して、なんかやってるのしか見えな

いんですよ。こいつらおかしいと(笑)。『こんなの絶対に変だ、

こんなのは日本に上陸させてたまるか』っていう気持ちを小学

生だけども(笑)思っていて。がはは…そんな、なんかすっごい

抵抗感を感じていたんだよね。

―初めは抵抗感で…

I うん。ものすごいギャーギャー言うんだと思っていたんです。

ところがラジオで初めて『プリーズ・プリーズ・ミー』を聴い

たら、「あ、なんだやかましくないじゃないかと思ったのが最初。

よく聴いてみるとなかなかいい曲じゃないか。と。でー…2つ目

に聴いたのが『抱きしめたい』という『I Want to Hold Your Hand』。

このあたりになると結構もう好きになってたね。

―どんどんはまっていって…

I うん。日本でやっぱ『プリーズ・プリーズ・ミー』が最初に

出たシングルで、2枚目が『抱きしめたい』で、3枚目が『she

loves you』だったな。

―じゃあ、初めて買ったビートルズのLPとかは…

I ええっと…うちオヤジが明治生まれで、40いくつかの時の子

どもなんですよ、私。でね、LPを買うやつは不良っていうか、

まともな人間じゃないってんで、LPを買うことが厳禁だったの

ね。だからー…ずいぶん後になって初めて買ったビートルズのLP

はえーっと…『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』

―あー…だいぶ後で

I うん。でーあのー…近所に中古レコード屋があって、なにし

ろ小学生とか中学生の頃でしょ?レコードを初めて買うんだった

ら中学生ですねえ。で、その時に中古レコード屋に行くと、当時

一枚洋盤で330円だったと思うんだけど、100円とか150円で

買えるんですよ。で、そういうシングル盤をよく買って、ポータ

ブルプレーヤーで聴いてました。ちなみに初めて自分で買ったレ

コ−ドはチャイコフスキーの『アンダンテ・カンタービレ』です。

―(笑)それはお父さんが許してくれたんですか?

I 中学受験の合格祝いで兄貴が買ってやるって言ってくれたん

ですよ。その「アンダンテ・カンタービレ」ってすごく好きだっ

たんですよ。なぜか一番最初はそれだった(笑)。あとビートル

ズに並んで、坂本 九とか九重佑三子…って知らないでしょう?

九重佑三子が…なんていうかあこがれていたというか…

―初恋みたいな感じですか?

I うん。吉永小百合の方がもっと古いけどまあ何にしても年が

ずいぶん上のお姉さんなんだけど…まあそれは関係ないですね(笑)。

それで最初に買ったビートルズのレコードは『アイ・シ

ュッド・ハブ・ノウンベター』日本題で『恋する二人』。それが最

初に買ったビートルズのレコードですね。日本で言うと『ア・ハ

ードデイズナイト』の映画のLPがあるでしょ。それで最初に

『ア・ハードデイズナイト』がシングルカットされて、二つ目に

シングルカットされたのがその『恋する二人』というやつでした。

―ビートルズが来日した時、コンサートにはさすがに行けなかっ

たですか?

I 行けないですよ。広島だからとても行けなくて、しかも中学

高校と一貫教育の学校にいたんで、えーっと確か中学校の方にい

たと思うんですけど、スペイン人の非常に厳格な先生がいて、ビ

ートルズなんてとんでもない奴等だと(笑)なぜならば「女王様

はどうですか?」という質問があった時に「Ah.She is O.K.」

って言ったんですよ。こんな失礼なことはない、とずいぶん憤慨

してたのはよく覚えています(笑)。

―テレビではご覧になりましたか?

I 見ました。それはがっかりですよ(笑)。だってまだ当時はリ

アルタイムでコンサート会場全体に演奏をそのまま伝えるような

技術が無いから、あの…「エド・サリバンショウ」にビートルズ

が出た時の映像を白黒テレビでその前に見たことがあったけど、

そん時は例えばジョンのマイクがうんと音が小さくて、ポールの

声しか聞えないとか、日本のコンサートの時にはポールのマイク

が変な方向を向くんだよね。それで「Stay still!」と

か言って怒ったのも覚えてるけど、音が全然うまく伝わらない。

キャーキャーって音もやかましい。で、ビートルズ自体がコンサ

ートで自分達の音楽を伝えるってことに本当に失望から絶望を感

じて、でLP作りに専念していった、というのがありますよね。

それはしょうがないと思う。今だったらコンサートで例えば米米

クラブのコンサートのビデオを全部持ってますけど…あんなもん

はものすごい技術だよねぇ。

―そうですね(笑)…。米米クラブが出てくるとは(笑)。じゃ

あ、もしも今の時代にジョン・レノンが生きていて活動していた

らジョンはどういう風になっていたか推測できますか?

I もしもの中ではビートルズは解散してるんですね?

―はい。

I どうなのかなあ。やっぱり時々ムーヴメントを起こしてるんだ

と思います…。同じようなことじゃないかと思うけどね。今生

きてたらもっとすごいことやってたっていう感じはあんましない

ですねぇ。

―あのまま…ふつうに・・・

I うん。だからビートルズが解散してそれからしばらくの間は、

お互い一緒に切磋琢磨してっていう感じよりも、ホントにライバ

ル心―ジョンとポールがすごい燃やしてやってた、その蓄積でも

って…例えばポールの場合は「ヴィーナス&マーズ」ぐらいまで

のLPはイケてると思うんだけど、ジョンの場合だったら…でも

ジョンは死んだところまで全部ってわけじゃないけど一つのLP

の中に2〜3曲はキラッと輝くものを作ってたと思うし。ポール

の方がよっぽど音楽的に言えば才能がジョンの10倍100倍ある

と思うんだけど。でもそのわりには平凡になってしまってますねえ。

なによりもあのふけたポールの顔を見るのがつらい(笑)。

―(笑)もう60近いですね。

I そんなになるっけ。

―たしか、前調べたら57、8だったです。

I 41年とか42年生れ…そんなだったと思う。

―…58。すごい年ですね(笑)。では、バンド内に人間関係のも

つれとか発生して、ビートルズの存在自体が危なくなってきたこ

ろの印象としては?

I 僕は個人的に言うと、何よりもオノ・ヨーコが出てきたこと

が一番悪いって思ってるけど。オノ・ヨーコが出ることによっ

て、自分の知らない自分が目覚めたと思うんですよ、ジョンが。

で、それは他のポールだとかと一緒に生きていく自分とはまた

違った自分で。ある意味で、人間としてさらなる成長をとげて

一人歩きしはじめたというカンジだと思う。でもビートルズフ

ァンとしてはオノ・ヨーコ大嫌い。

―(笑)

I いまだにジョン・レノン展とか…この前も東京駅でやってて。

Tシャツ買ったりしましたけど。

―(笑)

I でもね。これ買う金はオノ・ヨーコに入るのかと思うと腹が

たってねー。

―ビートルズは解散するまで追っかけてたんですか?

I もちろんずっと。最初の頃はラジオで聴くくらいでシングル

盤の古いのを集めるくらいだったけど、ある時からLPを買っ

たりするようになりましたね。で、シングル盤が出てくるんで

すよ。「ペニーレイン」「ハローグッバイ」「レディマドンナ」で、

LPがボンって出る。あの…絵の世界でいうとピカソみたいで

すね。「ラバーソウル」が出た、で、その音づくりとか音楽が

ずーっと続くかと思うとそれが「リボルバー」になるとまた変

わるんですよ。でまた「サージェント…」になると変わるんで

すよ。だから次はどんな芸風を見せてくれるんだろうか?どん

な風に変わるんだろう?というのが楽しみでワクワクしながら

次のLPが出るのを待ってたって時代でしょ。それでビートル

ズが解散したっていったら、もうこの楽しみ無くなるわけです

よ。ショックですよ。そりゃ残念ですよ。そうなるとあとはポ

―ルが出すLP、ジョンが出すLP、ジョージが出すLP、リン

ゴは最初からもう相手にあんまりしてなくて(笑)で、そっちだ

の方をしばらくの間いってましたけどね。

―フェイバリットな曲・アルバムは何ですか?

I LPだと、それは何といっても「アビーロード」ですよ。こ

れが一番最高傑作だと思いますよ。巷では「サージェント…」

だと言われますが、あれは通過点だと思います。出来でいうと

最高傑作は「ヘイジュード」だと思うんですよ。でも個人的に

一番好きな曲は「オーダーリン」(「アビーロード」収録)とい

う曲です。

―バンドを始めたのはいつ頃からですか?

I ええーっと、バンドを始めたのは高1の頃だったと思います。

同級生4人で始めたんですよ。ギター弾けるのが僕一人だった

んで、ドラムを習いはじめたのと、まあこの二人でやって、あと

二人はギターは僕が教えたり、しかも初心者向きにコードを簡

単なコードに直してっていう譜面を全部僕が書いたりして、でやり

ましたね。曲はビートルズですね。先生の送別会の時に、初め

て演奏しました。それから高2の時の体育祭の後夜祭。その時は

盲腸を私が手術して10日目だったんですよ(笑)。それでもなん

か思わずやってしまいましたね(笑)。それから卒業式でやって、

まあ例えばメンバーが自分の妹とその友達を連れてくる。それで、

男子校でしたからねえ、こういうことってもう滅多に無いことな

んで大変張り切ってやりました(笑)。

―バンドとかをしてたらもてたりしたんですか?

I もてるももてないも男子校ですから、全く縁もゆかりもなく、

女の子と口をきくこともなく高校3年まで終わりました。あの…

カトリックなんでね、先生も男しかいないんです(笑)。

―スゴイところですね…

I 普通の練習とかは友達の家で、床屋をやってるのがいて、な

んか知らんけどその2階で、まあそいつがドラム持ってたからそ

こに集まって、あんまり音大きくしないでやるとか。リードギタ

ーが倉庫屋なんですよ。「味の素」の倉庫と一緒に住んでたんで

その倉庫の一番上の方でやるといいっていうんでそこでやったこ

ともあります。

―バンド活動はお父さんに何も言われなかったですか?

I いや、あの〜ギター持って出かけて、帰ってくるとぐったり

疲れてるっていうのは分かってて、そのバンドをやっているって

いうことも分かってるけど、それ以上具体的には理解できなかっ

たと思うんです(笑)。ただオヤジは芸事は色んなことが出来る。

要するに昔人間だけれども、趣味人間で、私の場合その…おふく

ろの方はですね、馬車馬のように働く家系なんですよ。で、オヤ

ジの方は趣味に生きる家系なんですよ。で結局私は趣味を仕事に

してこんなことやってるんですけど、出来れば音楽の方で生きて

いきたかったけれども、それできなかったから。まあ、そういう

芸事をやることには全然うるさくなかったです。とにかく暇があ

れば家の仕事手伝って縫ってればよかったです。

―大学に入ってもバンドは続けられたんですか?

I 大学は4人がバラバラになりましたんでね。で、広島に夏休

みとか帰ってくるでしょう、その時に集まってやるくらいしか出

来なくて。大学の方ではとにかく金無かったし、アルバイトと奨

学金だけでやってましたんで、だからとにかくアルバイトやった

りとか、そういうことでバンド活動をやるってことは結局なかっ

たですね。もうほとんど。ギター持ってたんで、あの頃はコンパっ

ていうとですねえ、誰かがギター持ってって、ギターで歌を歌う。

だから、ほとんどギター伴奏。どんな歌でも知ってる歌ならギタ

ー伴奏ができると、そりゃもうすごかったですよ。それはやがて

ですね、大学院の頃に精神病院ののど自慢大会のギター伴奏で最

終的な完成を迎えることになる(笑)。

―音楽では生きていけないって思ったのはいつ頃だったんですか

I 高校から先の進路を考える時に、作曲家になりたいと思いま

した。けれど多分、こういうのって才能がうんとないと生きてい

けないんで、多分だめだろうと勝手に思って、駄目なのかどうか

やってみないと分からないけれど。ちなみにバンド活動はですね、

大学院を終えて助手の頃に、もう1回復活するんですよ。広島大

学でバンド作ってみまして。その頃はもっと年下の人とやるんで、

学部生と院生と助手の私がやるんで、もうちょっと…といっ

ても昔ですからねえ。ええーっと、ディープ・パープルとかやり

ました。とにかく新歓コンパとか追い出しコンパとかっていう

のを心理学科全体でやるんですよ。で、大学会館借り切って、

で、最後はディスコになるんですよ。で、やるんですよ。最後

に盛り上げる。「スモーク・オン・ザ・ウォーター」やったり

しましたけどね。うーんと「ロックン・ロールミュージック」

ではじまって、ステッペン・ウルフの「ボーン・トゥ・ビー・

ワイルド」なんかもやったかな。で、バンドのメンバーが、女

の子のヴォーカルを入れたいと。まあ、ヴォーカルでも何でも

入れたかったんだろうね。で、それに何か曲を与えなきゃいけ

なんで、キャンディーズの「春一番」ってのをやった覚えが

あります(笑)。

―先生はずっとギターなんですか?

I うん。ギターでヴォーカルです。だから「スモーク・オン・

ザ・ウォーター」歌ったり、「ロックンロールミュージック」

を歌ったのは私です。「春一番」はその子が歌ったんです。

―少し話題を変えます。今流行の音楽を聴いて、どういうのが

お気に入りですか?

I ビートルズ以降とにかくはまったのが井上陽水です。さだ

まさしとか、ああいう暗い系統もいましたけど。あとですねえ、

山下達郎夫婦とか、一方で松田聖子、中森明菜のCDも持って

ますし、ごく最近までは米米クラブ。大変はまってた。特にあ

の…石井、今石井ビューティーになったんだよね。とにかくあ

れはコンサートのビデオを見るだけで楽しい。曲もスゴイし。

あれは本当にすごいと思うんだけど、一人になってちょっとだ

めになりましたね。あと、柳ジョージとレイニーウッド。柳ジ

ョ―ジも好きなんですよ。で、今の音楽でいうと、そっち方向

でCD買ったっていうとあのB'zのベストですか、と宇多田

ヒカルの「ファーストラブ」。B'zはあの「ライアーライアー」

が好きで、基本的にはあの稲葉の声は嫌いなんですけど。えー

と、ASKA(C&A)の声とか稲葉の声は嫌いなんだけど、「ラ

イアーライアー」だけは気に入ってて、詞がいいし、曲の展開

とか面白いんで。どうせシングル買うよりは、値段も大して

変わらないので、LP買ったんだけど、そしたら「ライアーラ

イアー」ともう一つ、ええーっとT-REXみたいな雰囲気の曲

があったんだけど、その2つ気に入ったねえ。それから今ので

言いますとね、ラルク・アン・シエルのヴォーカルの声が好き

です。あれは好きです。何というかなあ。歌とかなんか抜きに

して、声だけ聞いていたいっていう歌手がいるんですよ。何人

か。例えばですね、大川栄策。あの男でもない女でもないよう

な声ってあの人にしか出せないんですよ。それから岩崎宏美。

で、もっと若いところでいくと石嶺聡子。それから石井達也。

それからラルクのhyde。歌が、なんかしょーもない歌が多い

と思うんだけど、だけどあの声は注目だなと。で、宇多田ヒカ

ルの声も好きです。あれは何かっていうと、はかなげさだよね。

あのはかなげさ。しかも、昔馴染んだ藤圭子の声とが両方同居

してるんだよね。でも意外と、特についていけない所あるん

ですよ。あの歌詞でキミって言うでしょ。あれが違和感観じて、

で「Automatic」でええーっとなんだっけ「ただ必要なだけ 寂

しいんじゃない」ってあの歌詞が理解できない。理解できない

んだけれども曲全体としては大変心地良く聴けるんです。だか

ら今は、ラルク・アン・シエルの声と、それから宇多田ヒカルと、

UAも結構好きです。あと、陽水系統でいくと奥田民生。

大変やる気がなさそうな(笑)。いまだに陽水は別格って感じですね。

あの人の声はとても人間わざじゃないと思うんです。

―先生にとって音楽とは一言で言うとどういうものですか?

I 一言で言えないもん(笑)。これはよくインタビューで、あな

たにとって何ですかって言われるけど、これくらいつまらない質

問はないですね(笑)。外側からなんらかの理由付けとか、意味

付けをすると、本来の姿が壊れていくんですよ。その辺はですね、

ホームページで「何のために」という文章がありますので。音楽

ってのは、色んな側面があります。例えば今みたいに時間がほと

んどなくて、自分で自由に使える時間がなくて、しかも教授にな

ると非常にこき使われるようになったからということはあるんだ

けど、でも行き帰りにMDで音楽聴くと、今はほとんど宇多田ヒカ

ル聴いてますけど、それだけで幸せな気持ちになれるんですよ。

それは一つの顔ですね。それから、暇な時にギターを弾いてみる

とか曲を作るとか、色んな顔を持ってますけど、だからとても一

言では言えないですよ。昔から夢としては、防音室があって、そ

こで仲間が集まればそれでいいんだけど、出来ない時はひとりで

多重録音でミュージックテープをつくる。そういうのがダビング

できる立派な装置があったらいいなあ、というのはありますけど

ね。

 あとがき

対談を終えてテープを文章におこす作業は大変な労力と時間

必要とするので、途中で嫌になるものなのだが、漁田先生との

対談は、確かに大変なんだが、この作業が面白かった。

あの時は緊張していたし、時間も限られていたので、後にな

ってあれも聞きたかった、これも聞きたかった、と思うことばか

りなのであるが、機会があればもっとお話できればなあと思う。

今の音楽であっても気に入ったものは好き、というとても40

代とは思えない(失礼!)アンテナの広さと包容力に感動した。

これからもその独特の語り口で大学生を魅了し続けて欲しいと思

います。 (やまほり)

あと打ち

テープを文章におこしたものを渡され、ワープロで打つこと

数時間。かなり面白い対談原稿が完成しました。対談でいつも思

うのは、人によって音楽に対する接し方、考え方がまるで違うの

だなあということ。人の数だけ音楽の形はあって、だからこそ音

楽は様々な魅力があるんだなあと思います。

漁田先生、面白い対談をありがとうございました。(いなよし)


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