スプーン問題




「スプーン問題」とは、障害によって、スプーンを使用して食事をすることができない

子どもに対して、

 1) 手づかみの食事を容認するか、2)あくまでもスプーンによる食事を指導するか

という問題である。

 「手づかみの容認」は、教育の個別性を重視した接し方であり、個々の障害者の障害

の性質・度合いに応じた(個性に応じた)指導をめざす。過大な要求や負担をかけない

という点はよいのであるが、ともすれば、障害者と健常者の間に一線を引いてしまうと

いう問題が生じてしまう。この発想を押し進めると、個々の障害に応じた教育(特殊教

育)や学校・学級(養護学校・特殊学級)ということになる。

 「スプーン指導」は、教育の一体性を重視した接し方である。健常者も障害者も同じ

スプーンを使用することによって、文化を共有することができる。けれども、この接し

方は、個性の無視や画一化という問題を同時に持っている。ともすれば障害者の障害の

質・量を無視して、過大な要求・課題を課してしまいがちである。

 「スプーン指導」の発想を押し進めると、健常者も障害者も共に、同じ学校で同じカ

リキュラムによる教育を受けるという「統合教育」の理念につながっていく。これは、

教育の理想である。

 ここで、「同じ学校・同じカリキュラムの教育」ということは、健常者と障害者の両

方を含んだすべての人々のための学校・カリキュラムによる教育を意味する。このこと

は、必ずしも、現状の普通学校・普通学級において、現状の普通教育のカリキュラムを

用いて、健常児に混ざって障害児も教育することを意味するのではない。現状の普通教

育を、障害児にも受けさせるということには、大きな問題がある。

 最大の問題は、現状の普通学校・普通学級というシステムや、現状の普通教育のカリ

キュラムが、ノーマライズされていないということである。これらは、あくまでも健常

者のみを念頭に置いて作られたシステムであり、カリキュラムである。この世に住む人

々は、健常者のみでないということを考えれば、普通学校ももう一つの特殊学校といわ

ざるを得ない。健常者のみに適用できる教育を行っているのであるから。

 さらにいえば、現状の普通教育は、大多数の健常者のためにもなっていない。すくな

くとも、落ちこぼれ、脱落していく子どもたちには、何の役にも立っていない。現状の

普通教育は、いったい誰のための教育なのだろうか。分離教育であっても、現状の特殊

教育の方が、より役に立っているといえる。この中には、生きていくこと、自立するこ

と、生活することなど、まさに生きた教育が存在している。

 「スプーン指導」から、いささかはずれてきたので、戻すことにする。最後に、重度

心身障害者の中には、1日数回の寝返りを打つだけが精一杯という人がいる。ここに、

1日5回寝返りを打てば、われわれにとってマラソンを走ったくらいの重労働という子

どもがいるとしよう。このような子どもに接するとき、5回寝返りを打てば、それで十

分じゃないかと思うだろうか、それとも、明日は6回打てるようにしようと思うだろう

か。

活動記録の本文にもどる

思いつくままににもどる