講義のルーツ


 


 先日のお話し(片山寮祭講演会)の中で、私の講義の原型が教養課程で聞いた生物の

講義だといいました。そのあたりについて今日は書いてみようと思います。

 その講義の担当教官は宮脇という先生で、植生地理学の世界では国際的な研究者とい

うことでした。講義内容は植物の群落などの植生の話ばかり。テーマはかなり専門的で

したが、それを具体的に日常的な例をひき、わかりやすく話してもらいました。

 大谷川の護岸工事や、二つ池の改修工事を見ていると、その時の講義が思い出されま

す。このような工事では、土手や崖をコンクリートで固めてしまうことがとても多いよ

うです。一見とても丈夫そうに見えますが、長続きはしません。いずれ老朽化し、風化

し、崩れてしまうのです。それより、土手に植物を植えれば、どんなに丈夫で長続きす

るかについて、ヨーロッパのスライドを見ながら受講したのを思い出します。東名横の

橋を渡る時、ドブのものすごい匂いがします。おそらく生き物はいないでしょう。生き

物がいれば、生物サイクルによる浄化作用も働くでしょうに。

 横浜国大は、私が卒業した翌年に現在の場所に移転しました。その時、キャンパス内

の植物配置を計画したのは、宮脇先生でした。日本人の魂のふるさとは鎮守の森だとい

って、キャンパス内の木々をすべて常緑樹にしようとしたのです。皆も宮脇先生の説得

力のある理論に感銘を受けて、賛成したそうです。その結果、年中青々とした季節感の

ないキャンパスになってしまいました(アタリマエジャナイカ)。今では、大半の人が、静大のよ

うに紅葉や枯葉のあるキャンパスをうらやましがっているとのことです。

 私が感銘を受けた講義は、もうひとつあります。私が広島大で助手をしていた時の集

中講義で、早稲田大の牧野達郎先生の実験心理学です。担当助手だったので、私がお世

話をしたついでに、講義も聞いたのです。内容は、知覚心理学の「奥行知覚」や「大き

さの恒常性」の話で、普通に講義したら受講生がそろって睡眠に陥るような内容です。

それを実に楽しく聞かせていただきました。ひとりツッコミのひとりボケといった感じ

で。教養の心理学を担当する教師の大半が、知覚はおもしろくしにくいといいます。け

れども、私は結構のって知覚を講義しています。それは、牧野先生に知覚の楽しさを教

えてもらったお陰だと思います。

 ひとりで大勢を相手にお話しをするということの原点は、落語にあると思います。落

研出身のさだまさしさんが、話が上手でおもしろいのも、話芸の基本ができているから

だと思います。同じく落研出身の勝山先生も、きっと楽しい講義をしていることと思い

ます。

 私も落語が大好きで、小さい頃からよく聞いていました。私の実家は洋服縫製をして

いました。父は、洋服を縫いながら、いつもラジオを聞いていました。その仕事場が私

の遊び場でもありました。知らず知らずのうちに、歌謡曲、少年探貞団、赤胴鈴の助(

吉永小百合が出演していたことを後になって知りました)などとともに、落語や漫才を

楽しみにするようになったのです。落語には、マクラ(冒頭部分。本論に関係した内容

で、身近な話題をとりあげる。)、クスグリ(笑いをとる部分。)、ダレ場(緊張を解

除する部分。長い話の場合、これがないと注意が持続しない。)、サゲ(別名オチ)な

どの話芸の要素がちりばめられています。

 こういった要素をとりいれながら講義をしたいと思っています。もっとも、クスグリ

ですべってしまった時は、つらいものです。人文学部での講義(実験心理学)ネタに、

サゲのあるものもあります(私は当時実験心理学の講義を、人文学部でしていました。

)。このサゲのために、資料まで用意するのです。ある時、1コマしゃべって、さあ落

とそうと思って受講生を見ると、みんな真面目な顔をしていました。その真面目さゆえ

に、つい落としそびれてしまいました。そして、2年間も待たねばならなくなったので

す。実験心理学にはTとUがあり、同じネタを掛けられるのは2年後なのです。(この

文章にもオチがないぞ)

(1994年 片山寮誌掲載 )

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