何のために



 あなたは何のために大学に入りましたか。あなたは何のためにこの専攻を選んだので

すか。あなたは何のために勉強するのですか。このような質問をされて、うまく答えら

れないでいると、近頃の若者は目的意識を持たないなどといわれてしまいます。本当に

そうでしょうか。

 昔有名な登山家が、「あなたは何のために山に登るのですか。」と問われて、「そこ

に山があるから。」と答えたという有名な話があります。その登山家は、「山に登るこ

と自体が楽しく、それ自体が目的である。山登りの外に目的を見いださねばならないほ

ど、山登りは無意味でつまらない行為ではない。」ということを、きっといいたかった

のでしょう。

 学問や勉強に目を向けてみましょう。「しっかり勉強して、立派な人になり、世のた

め人のためになる。」と答えれば、文部省や教育委員会が喜ぶでしょう。けれども、こ

の答えは、立派な人になることが目的であり、勉強はそのための手段に過ぎないという

ことも意味しています。もしかしたら、別な手段があるかもしれません。勉強それ自体

に意味を見いだしていないという点では、「希望の大学にはいるため、ラジカセを買っ

てもらうため。」と同じことでしょう。ここでも、勉強は、希望大学やラジカセを手に

入れるための手段に過ぎないのです。

 それでは、学問や勉強は、それ自体に意味や目的を見いだせないほど無意味でつまら

ない行為なのでしょうか。ここで、「段ボールの梱包の詰め物に使われるビニール性の

小さな空気入りの袋が並んだもので、つぶすとプッチンとつぶれるもの(名前がわから

ないとこんなにも苦労する)」をイメージしてみてください。これって、つぶし出すと

止まらなくなりますよネ。プッチンをつぶし続けて止まらなくなったあなたが、「あな

たは何のためにプッチンをつぶしているのですか。」と問われたら、なんと答えますか

。「そこにプッチンがあるから。」としか答えようがないでしょう。こんな単純な行為

にさえ、その行為自体に意味や目的を見いだすことができるのです。学問や勉強に意味

を見いだせないはずがないでしょう。

 人生だってそうです。生きていること、毎日、悩み、苦しみ、喜び、悲しみながら、

生活していること自体に意味や目的を見いださないでいると、「いい学校に入って、い

い会社に入って、結婚して、子どもができて、退職して、年とって死んで。それがいっ

たい何になるのだ。」というようなことになってしまうでしょう。生きるということが

、何かを得るための手段にすぎず、生きること自体に意味や目的を見いだせなければ、

きっと毎日は地獄でしょう。

 「何のために」という問いにうまく答えられるほうが、もしかしたら、とても不純な

のかも知れませんネ。

(1995年、片山寮誌掲載)

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