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リレーエッセイ

産大生はなぜ「探求」するのか?

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教授 森戸幸次 (国際関係・地域研究論(中東・アラブ地域)、時事アラビア語)

  新学期が始まって3ケ月余、本学の大学キャンパスでは自らの成長を求める若者たちが学業や課外活動に熱心に日々励んでいる光景はとても清々しい。このリレーエッセイでは、将来実社会で生きていくために必要な本物の「学び」を求める若者の心を衝き動かす原動力=「探求心」について少し考えてみたい。
  私たちが通常、学業や部活に努力し、結果を出そうと集中を高める時、必ずや「探究心」とか「探求力」などと言う言葉が教師や監督、コ−チら指導者の口元から聞かれる。だが、あらためて「探求」(INQUIRY)とは何を考えてみると、これは意外に深い思索の言葉であることに気付かされる。いったい、この言葉にはどのような思想、構造、機能、論理、倫理、方法が潜んでいるのだろうか。そこで、古今東西の思想や哲学、倫理学をひもといて見ると、さまざまな定義が発見できる。「われわれは常に危険な、危なっかしい世界の内に生きている。その危なっかしい環境を多少とも安定した環境へ作り直し、変形していくための努力」(哲学者・高坂正顕)とか、「問題を見つけ、それを解決し、不安定な状態を脱し、確定された状態に移らんとすること」(米国の哲学者・ジョン・デュ−イ)などなど。
  日常の現実の中で何事かを学ぶ私たちにとって、探求には、第1段階=知ること → 第2段階=考えること → 第3段階=行うこと ー という3重構造が存在する、と考えられるだろう。
まず、第1段階の「知ること」は、厳密な学問的な認識として、事実や経験に基づかない先験的(アプリオリ)な認識と経験的(アポステリオリ)な認識があり、前者は演繹的な方法、後者は帰納的な方法が対応している。米国の論理学者チャ-ルズ・パ-スによれば、探求(究)には、(1)個人の主観的な願望に適うかどうかを基準にした「固執の方法」(自己中心型)、(2)集団の権威を基準にした「権威の方法」(集団中心型)、(3)人間の理性に適うかどうかを基準にした「先天的方法」(人間思弁型)、(4)客観的な事実に一致するかどうかを基準にした「科学の方法」(経験型)—という4つの類型がある、という。パ−スは白豆と黒豆を入れた袋を譬えに(4)の科学的な探求方法を説明する。袋から一握りの豆を取り出して白と黒の数を勘定するということを、何度も繰り返していくと、私たちは袋全体の白と黒の比に近づいていく、なぜなら、掴み出す回数を増やせば、袋の中のすべての豆の比率を勘定し尽くせるからだと指摘する。パ−スは「探求」の具体的な方法として、(1)演繹、(2)帰納に加えて、新たに(3)発想法/仮説の設定—の考えを編み出して、「探求」とは「発見の論理」だと鋭く指摘した。

(1)の演繹とは、規則から事例を援用して結果を導出する探求方法であり、例えばー
   (A)青色のビ−玉が入った箱がある、
   (B)取り出したビ−玉はすべて青色だった、
   (C)故に、取り出したビ−玉はすべて青色だった、
—と、必然的な帰結を導き出す推論。

(2)の帰納とは、事例から結果を援用して規則を導出する探求方法であり、例えばー
   (A)箱の中にビ−玉がある、
   (B)取り出してみると、いずれもすべて青色のビー玉だった、
    (C)故に、箱の中のビ−玉はすべて青色に違いない、
ーとなり、過去や現在の事象を説明できる推論。

(3)の発想法とは、結果から規則を援用して事例を導き出す探求方法であり、例えばー
   (A)ここに青色のビ−玉の入った袋が落ちている、
   (B)近くに青色のビ−玉の入った箱がある、
  (C)故に、この袋のビ−玉は、この近くの箱から落ちたのかも知れない、など
ーとなり、仮説を設定して今後を予測することが可能になる推理の手法。

  また、先に引用したジョン・デューイは「探求の理論」という名著の中で、どうしたら問題を設定して解決へ向かうように問題をコントロ−ルできるようになるのかを説明し、与えられた状況の中で問題を構成する要素として決定できるものを探し出すことが求められるという。彼は、人込みの会場で火災報知器が鳴った時の問題解決の手順を挙げているが、これを私なりに解釈して探求の方法として利用してみると、こうなるだろう。
  「突然、人込みの中で火災報知器が鳴った!。どうしよう?」。どうしたらよいのか分からない。いったい何が問題なのか。問題状況を把握しようと努力する。この窮地から脱出して助かるためには、情報を収集して事実を観察する。火災はどこで発生したのか、火元はどこ?。出口や通路はどこ?。自分は今どこにいるの?。この非常時に他の人々はどう行動するのだろう?。エレベ−ターで脱出できるの?。それとも非常口から?。でも、エレベーターは停止している、絶対絶命だ...。でも、冷静になって観察した情報から事実のみを構成要素として問題を組み立てて設定してみよう。う〜ん、非常口からならうまく脱出できるのでは?。こういちおう推定して、いまこれをすぐにこれを実行に移す時だ、口にぬれタオルを当てて足下に注意して非常口からうまく脱出!。助かった!。

  このような問題解決の作業手順をマニュアル化すると、
<第一段階> ー 問題状況の把握(何が問題なのかを知る)
情報を収集し、観察によって情報と事実を見分ける。事実関係を整理して問題状況の全体像を把握する。
<第二段階> ー 問題の設定(いかに解決の式を立てるのか) 
事実を構成要素として問題を組み立てる。観察によって事実関係を確定する。
<第三段階> ー  仮説の設定と実用化(問題解決のための推定)
事実関係の中から、何が原因で何が結果なのかを決定し、因果関係を考察する。仮説が成り立てば、問題は解決に辿り着けるかもしれない。仮説を証明して問題を解決して、最終的な結論、意見、解決策、真理を導出する。

  このマニュアルをもう少し大学生向けに説明すると、私たちが物事を学ぶ時、第1段階=「知る力」→第2段階=「考える力」→第3段階=「行う力」を身につける過程を経るが、「知る力」とは、具体的には主に、問題の所在をあるがままに客観的に把握する作業であり、「考える力」とは、問題点を指摘し、批判する作業になる。そして「行う力」とは、自分はなぜそのように考えるのかを、自分の言葉で説明し、表現化し、発表する作業になる。
  私たちが何か問題に取り組む時、まず問題を設定する。問題を明確化する作業を行う必要があるからだ。問題が確定した段階で、社会現象を「結果」と見なすが、これらの現象を引き起こしているさまざまな「原因」を衝き止めようとする。そして「結果」と「原因」の間の論理的な関係を仮説/モデルとして設定してみる。すると、社会現象の原因と結果の関係を推定する仮説/モデルを構築する設定方法が必要となるが、私たちが小学生の時、理科の実験で学んだ「ファラデ−のろうそくの科学」の応用がよく知られている。水を溜めた容器にろうそくを立てて焔が見える。これにフラスコを被せると、焔が消えるが、しばらくすると、容器内の水位が上がる現象を観察できる。フラスコと焔の関係では、フラスコは原因、焔は結果となり、フラスコが有る場合と無い場合の2通り、焔が有る場合と無い場合の2通りなので、(1)フラスコ(無)ー焔(有)、(2)フラスコ(有)ー焔(有)、(3)フラスコ(有)ー焔(無)、(4)フラスコ(無)—焔(無)—の4つの仮説が考えられる。実験の観察から、(1)と(3)の仮説が証明され、「因果の法則」を発見できたことになる。
  このような「学び」の実験法は、政治、経済、社会事象へ幅広く応用されている。例えば、政治哲学の分野では、自由と法の関係に関するイマヌエル・カントの哲学を見ると、「自由」は有・無、「法」は有・無のそれぞれ2通りに分けて組み合わせ、(1)無法と自由—無政府状態、(2)自由の無い法—独裁、(3)自由も法もないー野蛮状態、(4)自由と法を有するー共和制国家ーという4種類の近代国家の形態を導いており、参考になる。また、資本主義の精神とプロテスタンティズムの関係に関するマックス・ウエ−バ−の「プロテスタント倫理と資本主義の精神」に見られる宗教社会学とか、自殺率の因果関係を分析した社会学の研究への応用などなどだ。
  これまで、「探求」について一緒に考えて来たが、私たちは、単に大学で何かを為す技術を身につけるだけでなく、卒業後の実社会で期待される有為の人材になるためには、将来いかなる職業分野に就職するにせよ、世の中を動かして社会を形成する力になれるよう日々自覚し、大学生=STUDENTの英語の原義である、真の意味での「探求者」への道を歩み続けるのが、産大生に求められる学びと使命といえるだろう。(完)

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