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通信36 「環境的文脈依存記憶について」


静岡産業大学経営学部教授 漁田武雄(いさりだ たけお)
E-mail: isarida@ssu.ac.jp
URL: https://www.ssu.ac.jp/home/isarida/

日常的物忘れ

だれでも1度や2度は,次のような体験をしたことがあるでしょう。「1階の部屋で新聞を読んでいて,切り抜きをしたくなるがハサミが手元にない。ハサミが2階の書斎にあることに気づき,ハサミを取りに2階まで行く。2階の部屋に入ると,壁のポスターか何かに気を取られてしまう。そのうち,はっとわれに帰った時,自分が何をしにこの部屋に来たのかわからなくなってしまう。しかたなく,もとの部屋にもどる。もとの部屋にもどったとたん,ハサミを取りに行ったことを思い出す。そこで,情けない思いをしながら,ふたたび2階に行く。」

この事例に関与している記憶は,エピソード記憶と呼ばれています。エピソード記憶は,「いつ」,「どこで」,「どんな時」,「だれと」,「何をした」といったような特定の時刻,場所,状況,行為などの情報が結びついてできています。上述のエピソードでの物忘れは,「先ほど,1階の部屋で取ってこようと思いついたもの」という時刻,場所,状況などの情報を手がかりとして,「ハサミ」を想起できなかっただけして,「ハサミ」という知識そのものがなくなってしまったのではありません。これに対して,「ハサミ」の知識を構成する記憶を意味記憶と呼んでいます。

エピソード記憶を想起するためには,想起の対象となる情報(ターゲット)を検索しなければなりません。この検索のためには,なんらかの手がかりが必要です。ターゲットと一緒に経験された情報が,ターゲットの検索の手がかりとなるとされています。われわれの意識では,ターゲットのみを暗記したつもりでも,ターゲットと一緒に存在したさまざまな情報が,ターゲットとともに符号化され,ひとつのエピソード記憶を構成するのです。そして,ターゲットを想起しようとする場合,ターゲット以外の部分が検索手がかりとなるのです。このようなターゲット以外の情報を文脈と呼んでいいます。要するに,エピソード記憶は,憶えたときの文脈を手がかりとして検索するのです。

さて,冒頭の事例にもどりましょう。ハサミというターゲットの文脈には,ハサミを思いついた場所(1階の部屋)に関するさまざまな環境情報(大きさ,明るさ,家具,新聞など)が含まれています。このような環境情報を手がかりとして記憶を想起することを環境的文脈依存記憶と呼んでいます。さて,ハサミのある2階はハサミを思いついた部屋とは環境が異なるので,ハサミを想起することが困難です。したがって,2階で何をしにきたのかを思い出すことが困難になってしまうのです。けれども1階にもどれば,ハサミを思いついたときの環境が存在しているので,想起が容易となります(図1参照)。

環境的文脈依存記憶

ゴッドンとバデリーは,陸上と水中の2種類の環境条件下で,単語の暗記と再生(思い出した単語を手元のボードに書くこと)を行いました(Godden & Baddeley, 1975)。水中条件では,実験参加者はアクアラングを着けて海中にもぐり,実験に参加しました。これに対して,陸上条件では海岸で実験に参加しました。その結果,暗記と再生の環境が一致した方が,一致しない場合よりも,たくさんの単語を思い出しました(図2)。通常はこのような劇的な環境操作ではなく,部屋を中心とした場所の物理的特徴(広さ,内装,調度品,実験者の服装等)を操作した実験によって,同様な物環境的文脈依存記憶が報告されています(e.g., Isarida & Isarida, 2014; Smith & Vela, 2001)。

ところで,環境的文脈依存記憶を引き起こしているのは,物理的環境のように見えます。けれども,物理的環境変化とともに,心理的環境も変化していると思われます。例えば,水中条件(水深5mの海底)では,危険,緊張,不安などを感じ,陸上条件(海岸)では,安全,リラックス,安心を感じるといえます。こうなると,単純に環境と結びついた記憶と見なすことは危険です。われわれの研究チームは,物理的環境(部屋:70名教室と体育館)と心理的環境(状況:授業中と休憩時間)を組み合わせて,実験を行いました(漁田・漁田,1999)。その結果,物理的環境よりも,心理的環境が,より強く記憶を規定することを見いだしました(図3)。

そこで,われわれは,場所と心理的環境に影響する要因を組み合わせて,環境的文脈を操作しました(Isarida & Isarida, 2004)。その結果,組み合わせ操作では明確な環境的文脈依存記憶が生じましたが,それぞれ単独の操作では,有意な環境的文脈依存記憶は生じませんでした(図4)。

われわれチームはこの組み合わせ操作を複合場所文脈とよび,この文脈操作によって,数多くの研究成果を出しています(Isarida & Isarida, 2014参照)。これに対して,他の研究者たちは,コンピュータのバーチャル環境の研究にシフトしてきています。このため,世界での場所文脈の研究は,われわれ研究チームの独壇場となっています。

心的復元

さて,いつでも環境が手がかりとなるわけではありません。帰宅した時,カサをどこかに置き忘れたことに気づいた場合や,旅行先のエピソードを思い出そうとする時などは,環境を手がかりとすることができませんし,その場所に戻ることも大変です。そこで,実際に場所を移動するかわりに,頭の中でその日の行動をたどってみたり,外国旅行でのさまざまな状況を頭の中に思い浮べることになります。このように,環境に頼ることなく想起することを,心的復元と呼んでいます。われわれが,日常生活で思い出す際には,憶えたときの環境が存在しないのが通常です。したがって,ほとんどの場合,思い出すとは心的復元をすることになるのです。

加齢とともに減退する記憶力の鍵は,心的復元が困難になることとされています。よく「物覚えが良い悪い」とか言いますが,記憶力の鍵は,むしろ思い出す方にあります。したがって,記憶力の減退を防ぐポイントは,心的復元(思い出すこと)を練習することにあります。具体的には,昔憶えたことなど色々なことをを思い出してみることです。例えば,「磐田駅から静岡駅までの在来線の駅名を思い出してみる」「歴史の年代を思い出してみる」など。各種クイズやクロスワードパズルのようなものも,楽しみながら記憶力を鍛えることになります。


文献
Godden, G., & Baddeley, A. (1975). Context-dependent memory in two natural environments: On land and underwater. British Journal of Psychology, 6, 355-369.
漁田武雄・漁田俊子 (1999). 授業と休憩の間で生じる文脈変化がエピソード記憶におよぼす効果, 心理学研究. 69, 478-485.
ISARIDA, Takeo,& ISARIDA, Toshiko K (2004). Effects of environmental context manipulated by the combination of place and task on free recall.Memory , Vol. 12, No. 3, 76 - 384.
ISARIDA, Takeo, & ISARIDA, Toshiko K. (2014). Environmental context-dependent memory. In A. J. Thirnton (Ed.) Advances in Experimental Psychology Research (pp. 115-151). New York: NOVA Science Publishers.
Smith, S. M., & Vela, E. (2001). Environmental context-dependent memory: A review and a meta-analysis. Psychonomic Bulletin & Review, 8, 203–220.