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通信2「言葉のもつ外延的意味と内包的意味」


静岡産業大学 講師 藤田依久子

うつ病の人に対して「頑張ってね」とか、「しっかりしろ」と声をかけてはいけない、とよく言われる。声をかけた人は、その人を励まそうとしたつもりであっても、うつ病の人にとっては、その言葉が負担となり、かえって病状を悪化させ逆効果になる、というのである。

言葉には「外延的意味」と「内包的意味」がある。今、筆者がこの文章を書いているのは5月16日だが、5月16日の外延的意味は、5月の16番目の日という意味である。しかし、ある人にとって5月16日という言葉は、それ以外の特別な意味をもつことがある。
例えば、ある人達にとっては、その日が結婚記念日かもしれないし、誕生日かもしれない。大切な人の命日かもしれない。そういった人達が5月16日という言葉を聞くと、特別な感情が想起されるだろう。これが言葉のもつ内包的意味である(内包的意味をもつのは、言葉だけではない。身ぶりや服装、装身具等も内包的意味をもつ場合がある)。言葉の内包的意味は、その人の人生経験と密接に関係している。運動会や大事な試験の前に、「頑張ってね」と励まされた人が、ある程度の結果を出せた場合、その人にとって「頑張ってね」は励ましになるのだが・・・
筆者の友人に治る見込みがない難病を患って入院している人がいる。彼女は、「『頑張ってね』という励ましの言葉は嫌いだ」と言う。彼女のように周りの人から何度も「頑張って」と励まされ、本人も一生懸命努力したにもかかわらず結果が悪かった人にとって、その言葉は辛いのだろう。

日本語に言霊という言葉がある。古代、人々は言葉には魂が宿っている、と考えていた。それが言霊という言葉として残ったのである。このように言葉のもつ神秘的な力は、古代から今日に至るまで広く人々に認められているのではないだろうか。人生に生きる希望を失っていた人が、友人や師のひと言で希望を見出すこともある。その反対に、誰かの発したひと言によって、大いに落胆し自殺を決意する人がいるかもしれない。言葉は、人の人生を変えてしまうことさえあるのだ。

北海道大学のクラーク博士は、「少年よ、大志を抱け」の言葉を残したことで有名だが、この言葉は文字通りの外延的意味で理解するべきではないだろう。クラーク博士は、明治新政府の招きで、北海道大学の前身であった札幌農学校に農業技術指導のために来日した。博士が日本に赴任したのは、1876年~1877年と短い期間であった。しかし、当時、クラーク博士を人生の師とした多くの学生がいたことを考えると、クラーク博士と北海道大学の学生達の間には、農業技術だけではなく、人の生き方に関して深い心の交流があったものと推察できる。クラーク博士と彼の弟子達の間には、「少年よ、大志を抱け」という、この言葉の中に、内包的意味が存在したに違いない。

我々が、普段何気なく使っている言葉は、時として大きな影響力をもつことがある。応用心理学研究センターでは、言葉のもつ影響力について研究している。